足立区竹ノ塚駅東口が私の東京生活の始まりだったけど、畑があって驚いたよ

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明石市のど田舎、魚住町金ヶ崎から上京して初めて住んだ東京の端っこの竹ノ塚。 

私がイメージしていた東京って太陽にほえろ的な新宿とか、銀座や原宿、六本木、上野、東京の丸の内、皇居、武道館とかな感じで、竹ノ塚に向かう列車からの車窓から見える風景に違和感を感じ、西新井を過ぎた畑が見えて、竹ノ塚駅を降りたら団地の町だった。

私が知る団地は焼け出された人や外地からの帰還者が住むか、低所得者層向けの県営団地。

公団が計画的に建てた団地を知らなかった。

 

この第三団地が私が朝日新聞奨学生として二年間走り回った公団の団地だ。

 

公団は高所得層向けの団地で、私が降りた竹ノ塚駅前の公団には海運学校の大型帆船の船長さん、東大の教授、新聞記者、東京銀行の偉い人、ソ連と貿易をしている社長さん、有名漫画雑誌の編集長、作家、医師とかが住んでいた。

彼らの多くはバブル前に家を買い出て行ったが、面白い方たちだった。

集金の時の雑談が楽しかった。

世界が広がった。

 

彼らの子息が通う足立区立十四中学は当時足立の学習院と呼ばれて都外からの越境生が沢山いた。

幼児期からの水泳教室通いも盛んな団地で、オリンピック選手も何人か出て、ピアノは普通、バイオリンを習っている子も珍しくなく、十四中学の吹奏楽部は全国レベルで優勝を何回もして、父兄の寄付により、吹奏楽部専用練習室があった。

 

竹ノ塚図書館も書籍が充実しており、教養を育てる環境は悪くなかった。

 

だけど、校区が隣の竹ノ塚中学になると都営団地の子が中心となり学力が下がるのも確かにあったし、そちらの団地は集金がたまっている家もあった。

あと新聞契約時の景品目当ての短期契約が多く、私は新聞小説の連載とか読まないのかなと本気で疑問に思っていた。

 

新聞契約という仕組みも上京して初めて知ったし、優待券や招待券が貰えるのは明石でもあったけど、契約制度は知らなかった。

 

契約専門職の勧誘の専業グループが大勢いて、彼らは販売店を渡り歩いた。彼らは団を名乗っていた。

 

また新聞配達をしている大人たちの多くははみ出した人たちで、村社会で思春期を過ごし女子校を卒業した私には解せない人たちもいた。

集金をしてそのまま逃げる。

前借りをして逃げる。

バイクを盗んで逃げる。

 

それをやられた場合の穴埋めは私たち、学費を朝日新聞に借りている新聞奨学生たちだった。

自分の担当地区の配達を終えたら他地区の配達もやる。

その分の給与は出ない。

 

 

そして彼らに手をつけられ駆け落ちする女子も少なくなかった。

学びたくて上京し、朝日新聞のブランドを信じて奨学生になった女子たちだった。

うん、みんな田舎者で、失うものが無い男の無責任さとか知らなかった。

 

売店の店長は学生運動で逮捕された経験がある人で、口癖が「お前らは学生である前に労働者だ」だった。

朝日新聞奨学生制度は、店長が朝日新聞社に金を払い候補者を選び、学生の給料から奨学金を回収する制度で店長の性格で天と地の差がある。

賄い専用の女子を雇う販売所もあれば、配達が終わった女子が賄いを作る販売所もある。私が入ったのは後者だったし、勧誘のノルマも厳しく私は何回か朝日新聞本社から表彰をされた。

つまり、首都圏の新聞奨学生の中でトップレベルの勧誘をしていたということだが、全然嬉しく無いし、他店であった加算はなかった。約束されていた卒業旅行も人手不足で行けない販売所だった。

 

販売所の旅行先は男性だけが学生も含めて海外で、男子から聞いた話しによると、行きの飛行機の中で女性の顔写真がのっているファイルを見て選び旅行中はその女性と過ごすというものだったそうだ。

 

朝日新聞の専業でも良い人は沢山いた、その中の一人が東京都文京区千駄木の団子坂店で放火にあった店長だ。

店長は新聞奨学生時代に歳上の夫人に惚れた。

彼女は若くして新聞配達所の店長夫人となり、店長が急死して未亡人だった。

で、彼は販売所社員となり、結婚した。