浅草公会堂の東京大空襲資料展へ。
イチジク浣腸社屋は建物疎開地域に防災建造物で倒せずポツンと残り。
空襲当時、早めに避難した人たちは助かるも、たどり着くのが遅れた人たちへのドアは閉ざされドアの前で人が次々と力尽き、その遺体を踏んで2階へと望んだ人たちも。
そして朝、中から一階のドアが開かない。
2階の窓から見えたのは。
この作品からの情報量の多さよ。
戦時下、敵航空機への目眩しの塗装「戦時迷彩」がイチジク浣腸のビルに施されている。でも丁寧に絨毯を敷くように焼夷弾を投下していく絨毯爆撃の前には役に立たない。
関東大震災の火災流に対応した防火施設であり直撃と窓やドアを締切、火を入れなかったから焼け残った。直撃で天井がぶち抜かれたり、割れたガラスから火が入ったら中に避難した人たちは可燃物として燃えた可能性がある。
火を入れないの中に閉じたドアと窓があり、そこには火から逃げられなかった人たちがいる。
生活圏の日暮里駅の写真、荒川区側や焼け野原で下谷区側の谷中側は焼けてない場所の方が多い。
村岡信明さんの作品も展示されていた。