熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

寒いんですけど。ある戦没画家とご遺族の話し。

明け方、胸の痛みで目が覚めた。背中まで痛い。

部屋の温度計16度。

廊下の温度計15度。

猫は布団の中から出ない。私の足元を温めてくれてありがとうにゃあちゃん。

私の体温34.2。

養命酒の生姜入りのをお湯でわり飲む。

暖房入れた。

部屋が温まってきたら猫が喜び布団の上に出てきた。

今日は富士山の初冠雪が見れたとの話しもあり、まぁそれなら寒いよね。

 

昨日、池之端画廊に在廊して版下作業と案内をやり、自宅の来客にあわせて帰る時に近所の方がお見えになり画廊の鈴木夫人に紹介される。

お客様の女性の手元には「遺された画集 : 戦没画学生を訪ねる旅/野見山 暁治」の初期の版があり「あっ」と。

聞くとその方のご主人の叔父様が戦没画家で、谷中清水町で育ち美學(現東京芸大)で洋画を学び画家として成り立ち始めた時に招集されて、数年の兵役で戦争末期にレイテ島で戦死されたとのこと。

戦没画家と画学生の記録に執念と言って良い情念を持った野見山 暁治さん、今年亡くなられたけど、彼が遺族が守る家を訪ねてこられて「遺された画集」に掲載されたこと。

また掲載された絵は、女性のご主人が幼い頃を描いたもので、ずっと家に飾られていたが家の建て替えの時の混乱で失われたとのこと。

今池之端画廊でやっている展示は上野の山界隈に暮らしたこと、または強い縁があった画家と彫刻家たちの作品展。

それで一度展覧会を観たあと自宅から書籍を持っておいでになられたとのこと。

その方のご主人の叔父は、書籍のから抜き出させてもらうが『生田目 明(なまため あきら)
大正二年、東京都に生れる。 昭和九年四月油画科入学、同十四年三月卒業。
同十六年、入営。
同二十年七月三日、フィリピン、レイテ島カルブゴスにおいて戦死。 三十一歳。』

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帰宅後、生田目明で検索をかけると旧Twitterで興味深い発信を見つけた。

https://x.com/jirouz/status/859432590591180800?s=46&t=q2XPXKYNUjeBawBGuO16BQ

 

https://x.com/jirouz/status/976124749184036864?s=46&t=q2XPXKYNUjeBawBGuO16BQ

 

https://x.com/jirouz/status/860488229803278337?s=46&t=q2XPXKYNUjeBawBGuO16BQ

 

 

https://x.com/jirouz/status/1709922262974148744?s=46&t=q2XPXKYNUjeBawBGuO16BQ

 

戦没画学生と画家たちの作品を集めた長野の無言館の資料は書籍流の部屋にあるが、また発掘しないとなぁ。

 

 

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