お世話になっている池之端画廊がある池之端四丁目は住所変更までは谷中清水町。
江戸時代は徳川家に三河時代から使えた有名な三河武士の大河内久綱の子孫の下屋敷があった場所。
明治維新後は大河内子爵邸。池之端画廊の場所は大河内子爵邸のお稲荷様があった。
祭事がある時は近隣の子どもたちにお菓子が配られたと聞く。幼少期の思い出として話してくださった方の訃報を昨日聞き、呆然としている。
戦後の混乱期火災によって神社は消失。
池之端画廊の三代前の日本画家の望月春江が戦後の財閥解体後に大河内家から神社の跡地を譲り受け今に至る。
大河内子爵、大河内正敏は優れた学者であり芸術家でもあった。そして芸術家への支援もし、交流もあった。
その子息うち2人が洋画家になった。
秋の池之端画廊の展示で私が持っている大河内信敬1903〜1967の作品も展示する予定です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%AD%A3%E6%95%8F
↓『黒田清輝日記』より。
1917(大正6) 年12月9日
十二月九日 日 晴
五時ヨリ谷中清水町ナル大河内子爵邸ヘ赴ク 来会者六名 中條 佐藤 田邊 朝倉(文) 内藤ノ諸氏ナリ 陳列ノ茶入六七十個ヲ観 子爵ノ説明ヲ聴キ晩餐ノ饗応ニ預ル 後チ興味アル雑談ニ耽リ十二時十五分前一同辞去
『本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。』
あと、日本画家の橋本関雪谷中清水町ゆかりの画家と言ってもいいよね。
資料・その他 : 戦争記録画
十二月八日の黄浦江上
昭和18年 彩色・絹本・額
明石育ちの私にはめちゃインパクトだった日本画家の橋本関雪も谷中清水町に住んでいたことがあったので結構嬉しい。明石の中学時代の同級生が橋本関雪の遺伝子持ってて羨やましい。
橋本関雪 谷中清水町時代 1908年(明治41年)〜1912年 (明治45年/大正元年)最後の作品
橋本関雪29歳、第6回文展褒状受賞作品「後醍醐帝(1912)」
本作品は、出品後より所在が不明となり2011年頃に発見される。
橋本関雪 の 息子 橋本節哉 洋画家 池袋モンパルナス
1905年
京都にて橋本関雪、ヨネの嫡子として生まれる
1921年
東京川端画学校終了後渡仏、パリ アカデミー・ランソンに入学モーリス・ドニに師事し洋画を本格的に学ぶ
1928年
帰国し東京池袋に住む 春陽会において活動する
1934年
青山義雄、田中万吉と共に春陽会を脱会する
1945年
父 橋本関雪の逝去に伴い京都に戻る白沙村荘の保存活動、大津走井居の宗教法人化などを行う
1965年
10月27日 すい臓がんにより逝去 遺作は「カーネーション」戒名 天真院節堂良哉居士 大津走井月心寺に葬られる
大河内子爵の孫と同級生だった真野輝彦さんからお伺いする谷中の昔話も楽しくて好きだ。
毎年秋になると熟したムベをもらう。
真野 輝彦 - Webcat Plus http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/203226.html