熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

日本近代美術発達史 明治編 浦崎永錫

義父たちの流れを知るために日本近代美術発達史の明治編を推奨されたので購入。大正編は残念ながら出てない。

近隣の図書館にはなかった。文化財研究所にはあるけど貸し出しはないし、必要ページのコピー代で現物が買えるので購入するもほぼ鈍器。

鈍器が増えていく。

著者の浦崎永錫は明治33(1900)年沖縄の那覇に生まれ、大正10(1921)年に上京し川端画学校に入学。藤島武二に師事して洋画を学ぶ。

義父と同じ年に川端画学校に入学し、同じく藤島武二に学んでいる人。同じ部屋でがりがりとデッサンをやっていたのかしら。

 

https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10468.html

 

以下コトバンクより抜粋。

『浦崎 永錫(読み)ウラサキ エイシャク
20世紀日本人名事典 「浦崎 永錫」の解説

https://kotobank.jp/word/%E6%B5%A6%E5%B4%8E%20%E6%B0%B8%E9%8C%AB-1639931

大正・昭和期の美術史家 大潮会会長。

 

生年 明治33(1900)年11月19日

没年 平成3(1991)年8月29日

出生地 沖縄県那覇市

学歴〔年〕
川端画学校

経歴
大正10年上京。川端画学校で学ぶ。制作活動を行うほか、昭和6年雑誌「美術界」を刊行し、美術関係資料の収集・研究を進めた。11年美術教育者のための美術団体大東会、12年大潮会を結成し、のち会長を務めた。著書に「日本近代美術発達史・明治篇」がある。』

 

 

秋に某会100周年の手伝い的な取材予定が入る。

 

友人のお母様に認知症が出たそうだ。インテリな女性だったけど、加齢は誰にでもくる。

現地の空襲の記録をする会のメンバーでもあった。

幸いなことに地方在住と言っても県庁所在地の市街地にお住まいなので遠距離介護に入ったとしても遠いけど、まだ利便性が良い。

遠いけど。

もう一つ幸いなのは地域社会が機能していて昔からの友人もまだご存命で心強いそうだ。

 

私の母の時もだが、地域社会が機能していて付き合いがあると助けられることも多くあった。

 

やはり知人のお父様、国立大学の理系の教授だった方が認知症になった時も金沢新幹線が開通していたので助かったと話していた。

遠距離介護は育ったところの地縁が活きてるとだいぶ違う気がする。

 

 

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