熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

夫たちの、アニメは爆発の増尾昭一氏の青春が収まるところへの可能性

 

我が家は義父の熊谷登久平のアトリエ跡に建っている。

そして夫が10代の頃にやっていたセルアニメ制作同人グループのアトリエも我が家であった。

2階の夫の居住スペース2kで宇宙戦艦ヤマトから発想を得た宇宙戦艦ムサシを作っていた。

(今私が作業部屋にしているのは義兄の居住スペースの2kの中の12畳)

 

宇宙戦艦ムサシの制作は機材も材料費も(本人曰く父が死んでから貧乏になった)夫が持ち、作業しているメンバーに義母が差し入れをしていたそうだ。

 

宇宙戦艦ムサシは都立上野高校のメンバーと、上野高校以外に行った私立高校組が制作した。

上野高校に通う仲間が凄く上手い人を連れてきた。それがエヴァンゲリオンやナディアなどで活躍していた当時上野高校生だった増尾昭一氏だ。

夫曰く、「増尾はメンバーの中で突出していた」

完成した宇宙戦艦ムサシは池之端にあった台東区の施設を借りて大々的に発表したという。

メンバーはそれぞれの進学や就職をして、増尾氏は東京デザイナー学院に進学し卒業制作もセルアニメでそのメンバーに山口正幸(摩砂雪) さんらがいたうろ覚えだ。

 

宇宙戦艦ムサシの話題は関西の同人たちの端っこにいた私にも伝わり、それが今夫との縁の一つであった。

 

宇宙戦艦ムサシのフイルムは池之端での上映会後、ほぼ死蔵となった。

夫たちは還暦になったら同窓会をやりフイルムをデジタル化して上映して増尾氏を驚かす予定だった。

が、彼が亡くなり夫たちはショックを受け同窓会の話しはなくなった。

 

あの宇宙戦艦ヤマトのブームの中で全国の少年少女若者たちがセルアニメを制作した。

しかし、完成作の現存はあまりないと思っている。

私が属していた同人仲間たちも手伝ったダイコンで上映されたアニメーションは現存する中で有名なものだが、あれは別格だ。

我が家にあるのはあれと比べてはならない。別の完成作品だ。

 

その時代のピースの一つなのだから受け入れ先があるかも知れないと夫に話していたが、夫は増尾ロスで動かなくなった。

 

まだ関係者が生きてるうちに、1人の宇宙戦艦ヤマトファンがアニメーターになっていく過程を残そうよと夫に話していたら、今度は私の同人仲間だった漫画家の明智抄が亡くなった。

私は明智ロスで夫の気持ちが理解できた。

 

去年、元JUNE編集長の佐川さんと庵野秀明展に行った時にフイルムの話をした。

で、佐川さんの助言により、ある法人に連絡をした。返事がきた。寄付の話が動き出した。

これがみのると、もしかしたら増尾氏には黒歴史かも知れないが、あまり動かないアニメーションではあるが、これには彼が当時の全力を出した作画シーンがあり、それは良いものであるから、あの自主制作アニメブームの一つだし音声まで入っているフイルムは物凄く貴重だと私は思うので宜しく増尾先輩。

爆発シーンもあるし。

 

芸術は爆発ならば、アニメも爆発ですよね。

 

 

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あ、10代の増尾さんたちも我が家の2階から谷中のヒマラヤ杉を観ていたんだなぁ。

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