熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

宇宙戦艦ヤマト、直球の世代の諸君なワシら。#増尾昭一氏 の青春

今日は宇宙戦艦ヤマト2199がBSで一挙放映されてる。
宇宙戦艦ヤマトは私が小学生六年生の頃にテレビで放映されて、再放送で火がつき大ブームになった。
全国的なブームだったから兵庫県明石市の私も熱狂し、松本零士先生の漫画にも夢中になり戦場漫画シリーズにもハマり戦争に興味を持ち、大人になったら戦記雑誌丸で連載を持つような女になった。

私は絵を創作する人になりたくて上京をして、憧れた漫画家やアニメーターを沢山育てた東京デザイナー学院に入学した。
当時、新聞配達しながら絵を学べるのは東京デザイナー学院だけだった。

宇宙戦艦ヤマトの特集をしていたマンガ少年やアウトを読み、多くのアニメーター出身校と知った。
少女マンガのSF特集だったかで水樹和佳子さんのインタビューで彼女の出身校とも知った。
当時の東京デザイナー学院は短大卒の資格も取れる数少ない専門学校でもあった。
宿題地獄のように出たけど、活版印刷や美術史、マーケティングの授業は面白かったし今も役に立っている。
習っててよかった。

話しを宇宙戦艦ヤマトに戻す。
宇宙戦艦ヤマトがなければ私と夫は結婚してないだろう。
二人とも中高でヤマトの同人をやっていたので思い入れがある。ほんのり共通の時間もあった。

夫の同人仲間の増尾昭一さんは私の先輩でもあり、宇宙戦艦ヤマトファンクラブで、イツカヤッタランと名乗り、それはいつかヤマトにプロとして参加してやったるの意味と、松本零士先生のキャプテンハーロックの中のヤッタランというキャラクターをかけた名であった。

うちには高校時代に夫と増尾さんたちが制作した宇宙戦艦ムサシの8ミリフィルムがある。
それは宇宙戦艦ヤマトのオマージュで上野高校の文化祭で上映したセルアニメで作業所は我が家だった。
作中にはアニメーターになった増尾さんが参加した商業アニメのナディアやプロジェクトA子に使った演出の元がある。
あの頃、全国の高校生たちはセルアニメを自主制作した、ヤマトのファンから今は大御所になっているアニメーターたちのセルアニメのフィルムは今どれくらい残っているだろう。
私は夫たちのフィルムは貴重なものだと思っている。

夫たちは今年度還暦で増尾さんと一緒に同窓会をする予定で、宇宙戦艦ムサシはDVDに焼き、増尾さんへのビックリにする予定だった。
増尾さんはフィルムが現存するのを知らなかった。
池之端に住んでいたシナリオを勉強していた同級生宅が転居をしたときに失われたと思っていたらしい。

夫、宇宙戦艦ヤマト2199を観ながら還暦を迎えなかった増尾さんのことを色々思い出し高校時代を語る。
そして凹む。

#宇宙戦艦ヤマト2199 エンディングロールで #増尾昭一 の名を見るたびに、#宇宙戦艦ヤマト2520 のシドミード版も増尾さんはヤマトだからと夫たち同人仲間に話していたそうだが、2199のヤマトの形は私たちの宇宙戦艦ヤマトに近いから良かったね、爆発シーン描けたかなとか話す。

宇宙戦艦ヤマトにプロのアニメーターとして参加を「いつかヤッタラン」と、夢を見て、地域では進学校だった上野高校からお茶の水の #東京デザイナー学院 アニメーション科に進学した増尾昭一氏。
同級生たち当時の同人仲間に次の夢と語っていた #マイティジャック 

今は新しいマイティジャック制作は噂程度だけど企画進んでいるのだろうか。