熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

相変わらず

自分が何をやらかしたのか、理解できずです。走馬灯の様に過去にやらかしたものが浮かびます。
何を言っても無駄的な諦めと恐怖しかないです。



中学時代に私が特殊地区の人の悪口を書いたメモをまわしたと、ほぼ集団リンチを受けたことがあり、殴られたりもしたのですがアレは中三の時の担任が許可をした糾弾で、今も夢を見るぐらい怖かったのですけど、私がやったと認めるまでは解放しないと校舎の袋小路で責められ続け、殺されるのだろうなと諦めたことがあります。彼らは正義感でやっているので無敵でした。
結局、書いた人が名乗り出て助かりましたが、書いた人も特殊地区の人だったので、何もかも無かったことになり、担任が私の筆跡だと決めつけたことも普段のおこないが悪いとなりました。あんなに綺麗な字、私は書けません。


中一と中三の時の担任は典型的な団塊世代で、正義感が強く私を嫌っており、酷かったのは中三の時に私のスカートが椅子に止められており起立ができなくてジタバタしていたら、怒った担任が私に対して突然殴る蹴るをしました。びっくりして何も言えませんでした。スカートは瞬間接着剤でイスに貼られていたのだと思います。
中三の担任は私が太宰治を好きではないと言った時に生意気だとマジギレした人でもあります。

担任がそうだと男子は調子に乗って虐めもエスカレートをします。
私が生意気で気分悪い人だったとしても、自転車のワイヤーを切ったり、上履きにミミズを入れるのは良くないと思うし、ミミズを定期的に集めて持ってくるのは大変だったのではないかと思います。石ころはよくありました。
ミミズを入れていたのは他の人の情報ではお姉様が宝塚を受験するような良家の御子息説もあり、その人にはミミズをもつて追っかけ回されたこともあります。


そういえば母の夢と希望の嫡子の弟が生まれる時に母は難産で大変でした。無事生まれて私は喜んで大きな声をあげたら父に殴られて転び、顔面に怪我をしたこともあります。鼻は潰れました。前歯も折れましたが、その後も他の男性に数本おられましたので、男性は歯を折ることで気がすむと今も思っております。
何はともあれ、母はきちんとした子を生めたので幸せそうで、弟を溺愛しておりました。

からしたら、外の家族ごっこの家の女にまた子を作ってしまい、これから母や私との同居もしなくてはならず、元正妻の嫡子たちとの関係もあり苦しんでいたようです。
その空気を読まず私がはしゃいだのは気に障ったのでしょう。私は7歳だったので大人の事情を理解できてませんでした。家族と暮らせることを単純に喜んでおりました。
父は母との同居後胃潰瘍で倒れました。二つの家庭に挟まれて苦しんでいたのでしょう。
父は亡くなる前に、本妻との墓に入れて欲しいと切に懇願し、私が父の嫡子にお願いにいきましたが強く拒否をされ、それを父には言えず私は実の親に嘘をつきました。


で、今は私がまたやらかしたことで、ゴールデンウィーク明けに何か起こるのだろうと、ビクビクしています。
怖いです。

生きるって私の場合トラブルを起こしながら進むので、しかも今回は婚家にもおよんでしまい、ゴールデンウィークあけの死刑執行前のような状態で怖くて仕方ないです。