熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

非通知の電話とTwitterのDMは着信拒否しました。

私は元は雑誌記者でもあったので、情報提供がありがたく非通知の電話も受けていましたが、去年末あたりから非通知の抗議電話がぼつぼつと来るようになりました。
ここ数ヶ月は私が経歴詐称をしているなどの指摘もあるようになっています。突然怒鳴られることも数回ありますので疲れました。
非通知は着信拒否にしました。


緊急の時は店の電話でお願いします。電話番号は公開されています。夫が出ます。
私はもう電話には出ません。夫が出ない時は留守番電話に伝言してください。


抗議、特に勝海舟系は厳しいです。
でもね、勝海舟日記に書いてあるんですよ。
熊谷伊助は実在の人物で、夫の一族には同じ遺伝子が流れているんです。

またB-29の残骸が引き揚げられた時に、ある人の発言にレスをつけた所、専門家に気楽に話しかけるなとファンの方からDMが届き、今はB-29を専門にしている方々のグループがあることを知ることができました。
私がレスをつけた相手は日本のトップだそうで、素人が口出せる人ではないとのことです。

この数年、辛いこともありましたが、良いこと楽しいことも沢山ありました。
なるべく良いことを書いていると主婦が豪遊しているとの厳しいお叱りもありました。
それは馬鹿とも書かれた私の全否定のお叱りでした。

自己顕示欲が高すぎるとのご意見もありますが、署名記事が顕示欲と言われると悩みます。
母が羨ましがる出来の良い嫡子たちに対して、いつかは親に産んでよかったと言われたいと思って育ったせいかもしれません。頑張れば私ができたことで苦労した母に幸せになってもらえるかもと思っていました。


私は男に騙された母が体が弱くておろせなかった子どもなので、出生届けも出されませんでした。
日陰の子として育ち、施設や親戚に預けられて、小児喘息で身体も弱く、同じく体の弱い母の手に余る子でした。
また父親の嫡子たちの出来が良く、その子たちと比べられながら育ち、母は私の出来が悪いことでも随分と泣いておりました。父方は私以外はとても優秀です。顔も良いです。
同じ母から生まれた8歳下の嫡子の弟がいますが、やはり顔が良いです。


のちに母が結婚した私の父親の会社が傾いてからは家にバイトをして生活費を入れながら高校に通い、東京進学後も家に送金をして、健康保険料まで払えなくなった母の国民年金や母と弟の健康保険の問題も出てきたので足立区に2人を呼び寄せ滞納分も借金して支払い、仕事をいくつもかけもちしました。
普通の家庭に憧れて、キチンとした戸籍にも憧れがあり結婚して育児をし、戸籍のある家庭ごっこができました。

その後、若年性認知症の母の介護にかかりきりになり妻と母親の役目を果たせなくなりました。当時の夫は普通の家庭で育った家庭的な女性と結ばれ私とは離婚となりました。

母の介護もして、育児と介護が終わり、やっと自分の時間ができた時には身体がボロボロで緊急手術が無事終わったと思えば、次は敗血症などで2ヶ月ほど入院。
この10年ほどで4回入院をして、そのうち2回は危篤でした。

それでも好きなことをする時間がやっとできたのに「学者でもないアナタが」とか「素人がB-29の専門家に語るな」とか「熊谷家の白蟻」と言われる。
夫が私と結婚したことに対しての「災難ですね」も目の前で言われてます。「もっといいのがいたのに」もありました。

私と付き合っている時に職を持っている女性との見合いもきてました。そちらの女性と結婚していれば夫は経済的に楽だったでしょう。しつこいですが、私はそちらを勧めましたからね。
当時は大事な友人だったので幸せになる方を普通は勧めますよね。



私は典型的なモブなんですよ。