昨日、楽しい日帰り旅行から帰ると、娘の相手さんから結婚祝いのお礼?が届いていた。
娘の新しい苗字と相手さんの名を見た。
私は相手さんの名前を知らない。
今回も夫宛なのでチラリと見ただけだ。きちんと紹介されてない私が相手さんの名を覚えたら盗みで失礼になる。
以前も書いたが、相手さんとは少し開いたドア越しにほんの少し話したことがあるだけだ。
娘の部屋には結構いらしていたが、見たのはその一回だけだ。
私の古い考え方では名乗って挨拶から人間関係は始まると思っていたから、ずっと戸惑っていた。
娘にそれとなく言ったがそのままだった。
夫と相手さんは話したのだろうか。
私たちは相手さんの親御さんにも会わないで終わった。
それを娘との共通の知り合いであるママ友に愚痴ったら、彼女の長女の相手さんのご家族にも会ったことがないと聞き、首都圏の西側の山の手は高度成長期の核家族が多いからかなとなった。
でも彼女の娘さんの相手さんとはたまに会うそうだし法事にもくるそうだ。
私は親らしいことが本当にわからないまま闇雲だったので、子は振り回されていた。
お菓子を焼いたり、海や山に連れて行ったり映画や博物館とかデパートの屋上とか、遊園地とか、私がやったのは記号だったんだろうな。
娘はきちんとした親に育てられてないので親になる自信がないから子は作らないそうだし、相手さんの兄弟には子がいるそうなので、大丈夫だとか。
しかし、まぁ、同じ母子家庭でも相手さんのお母様は良い母親として機能してて、在宅介護をしてても破綻しなかったと娘が相手さんのお母様を絶賛していた時は、正直言って我が身が情けなかった。
在宅介護で元夫の妻として成せなくなったことや、仕事を受けられなくなり減らしたこと、息子と娘がバイトして家計費を家に入れて高校の学費も払ってたこととか、娘にヤングケアラーをさせていたこと、申し訳ないと思っても償えるものではなく。
息子の奥さん宅も離婚家庭で、やはりお祖母様の在宅介護をやっていたが経済的破綻はなく。
私がやらかした介護離職、介護破綻。
それを回避した両家のお母様には、私、劣等感しかないわ。
まあ、息子の彼女さんはコミケ会場で売り子している時に挨拶しにきてくれたし、結婚前に一緒に旅行もしたし、お母様とも挨拶できたから、今も交流あるから幸せだよね、私。
美味しいもの、綺麗なもの、楽しいこと。
そういうものを少しでも重ねて死にたい。
親らしいことがわからないとか、親から生まれたのに半端な感じで育った記憶は惨めだ。忘れたい。
昨日は楽しかった。
それでよい。
豪雨の切間、車窓越しに観る信濃路の美しさ。稜線と残雪、手入れされたスキー場にそびえるジャンプ台。
日焼けしていない紫陽花。
手打ちの十割蕎麦の甘み。
道の駅で安い野菜を買い込む。
夫の好物を探す。
オリジナルのソフトクリーム。
鉄分多い赤茶色の温泉。
水素が多いという透明な温泉。
すべすべしっとりになった肌、ひとときの若返り気分。
そういうのが楽しかった。
帰路、車窓から見た花火にはしゃいだ。
楽しかった。
そういえば、娘が自身のことを「放置子」と言っていたと10年前に明智抄さんから聞いた時も、確かに家を空けて取材や会議や接待に明け暮れて、家にいるときは家事と原稿と半分仕事と化していた趣味ばっかであったので否定はできなかった。
家庭を犠牲にして頑張ったが、花は開かず何もかも中途半端で終わったし。
無駄な努力で終わった。
5月だかに娘が突然来て、私の近現代関係の資料を燃やすと来客がいるのに言い切ったのは、それらに巻き込まれたことへの恨みだろうか。
本に埋もれた部屋で無駄な努力をしていたみっともない母親ごと、つまり私と過去を娘は焼きたいのかもしれない。それだけのことをしたのだろう。
だけど、血縁への懺悔はもうしんどい。
母が苦労することになったのは父に騙されて婚外子の私ができたら、複雑な育ちだから親らしいことがわからないとかな劣等感ももう嫌だ。
顔も頭も運動神経も出来の良い嫡子たちや、美人でスカウトされるような従姉妹と比べられて、残念がられて。
今はきちんとした相手さんのお母様と比べられて。
息子夫婦の孫に対しても自信がない。
親としての家庭とやらへの自信がないから息子は婿養子に出した。
それでいいじゃん。
店の窓にまた仏様のような光が映っている。
前に出たときは明智抄さんが倒れたときだった。
その数日後に訃報が届いた。
明智さんは私の娘を可愛がっていてくれて、関西取材のときは預かってくれた。
彼女の息子さんと娘が結婚したら良いのにと結構本気で話していたのも懐かしい。
ペアレントクラシー
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