熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

太平洋画会研究所にて #萬鐵五郎 が学んだ画学校


谷中銀座で買い物した後に、#太平洋美術会研究所 に立ち寄り、解体中の #布施悌次郎画伯 のご自宅兼アトリエから今朝救出された作品を見せていただいた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E4%BC%9A

布施悌次郎画伯は、義父の熊谷登久平と同い年で平成までご存命だった方。
義父との接点はわからないが、紀元2600年奉祝美術展には同じく出している。
太平洋美術会は昔は谷中にあった。
義父と布施氏の生活圏も重なっており、知り合いであってもおかしくないと思う。長谷川利行は太平洋美術会にも出入りしていたので多分会っている。


見せて頂いた作品は亡くなられて30年近くたつも保存状態が良く、相続したご遺族が守っていたのが見て取れる。
昨日、太平洋美術会研究所の方が布施氏の自宅兼アトリエ跡を通った時に重機が入って建物が解体されているところだった。
建物の中に絵はすでにないと思っておられたそうだが、おそらく生前のまま飾られている作品に気が付き、今朝残っている作品を譲り受けることができた。
良かったなと思う。

多分布施氏が亡くなられた後もご遺族がアトリエを生前のままに保ってきたのだろう。
30年近くたち相続したご遺族が亡くなられたかどうかされ、新しい持ち主がヤフオク相場だと美術年鑑価格より安く売られている画伯の絵をそのままに家ごと
解体するところだったのだろう。
画家が手元に残して壁に展示していた作品はお気に入りだと私は思う。
無事、研究所の壁におさまり良かった。

https://web.mgu.ac.jp/co/newsco/1279.html


布施悌次郎は、1901年 宮城県仙台市生まれ。
1924年 仙台東亜学院専門部卒業。小樽水産学校の教師に就任。
1926年 東京から出品し帝展に初入選を果たす。
1927年 太平洋画会展で太平洋画会賞受賞。
1928年 太平洋画会会員に推挙。
1940年 紀元2600年奉祝美術展招待出品。
1949年 山形県現代洋画展に兄布施信太郎、ルノワールピカソ等と共に出品。
1958年 太平洋美術学校教授就任。
1982年 太平洋画会会長就任。1992年 没。





















「1904年、太平洋画会研究所を開設[1]して、後進の育成も行った(1929年、「太平洋美術学校」と改称、初代校長は中村不折)。戦災を受けた後、1957年に再開し、現在は太平洋画会研究所として続いている。初期の生徒としては川上凉花・川村信雄・萬鐵五郎・三並花弟・松村巽など。そのほか、中村彝、中原悌二郎、堀進二、鶴田吾郎、大久保作次郎、足立源一郎、岡田穀、川端竜子、渡辺文子、宮崎与平、荻原守衛、戸張孤雁、埴原久和代、長沼智恵子、中川紀元らが学んだ。」Wikipediaより。


以下中の人のツイートのスクショ。
流れてきて焦りました。
マジ焦りました。





https://books.google.co.jp/books?id=zOsDSBTir14C&pg=PA138&dq=%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiW3vXg7-rpAhUVyosBHU5iC5o4ChDoATAEegQIARAe

午後、三浦坂をくだりねんねこやさんの猫さんに遭遇。その後、ひるねこBOOKSに古書を見に行き誘惑に負けた。