平成になってから書かれた「美は脊髄にあり」という岩手県千厩出身の白石隆一画伯の伝記本に、熊谷登久平は銀行員で日曜画家だった的な説明がある。どこから出てきた話だろうと調べたけど煙の火元に見当がつかない。
もしかしたら東京の都民銀行の偉い人で歌人の「岡野直七郎」氏が主催していた冊子の表紙を描いていたからかなと。
岡野氏の師匠の前田夕暮氏と義父と長谷川利行は交流があったらしい。
義父は短歌の同人にも属し、長谷川利行からも歌を学んだと書き残している。
「美は脊髄にあり」の著者への問い合わせは叶わず真相はわからないけど、火のないところに煙はたたないのだから出所を知りたい。