熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

オタクという言葉がなかった頃の私たち

今日は劇場版機動戦士ガンダムの三部作が一挙放映されていて、観てます。


正月早々アニメを観ているわけですが、私が生まれた1962年は既に白蛇伝など日本のアニメーションが花開いておりました。
我が家には白黒テレビがあり、鉄腕アトムなどを観て育って次々と面白いテレビ漫画が続いたのでどっぷりと。
漫画雑誌は親戚宅でもらって帰り幼少時は少年漫画が中心で。少女漫画に目覚めたのは小学生二年生の時に買ってもらった少女コミックス。

勉強をしていたら本は買ってもらえたし、小説や百科事典は充分与えられていたと思う。
喘息と扁桃腺が弱いので良く寝込み、あの頃の娯楽はレコードと漫画を含めた本とテレビ。

少女マンガが面白くなり、テレビ漫画が少し幼く思えた頃に「海のトリトン」という番組が始まり「バビル二世」「勇者ライディーン」などにはまり、この頃、体が丈夫な子たちは友人たちと遊んでいた。
あまりテレビ漫画や少女マンガについて話せる相手はおらず、NHKでやっていた「タイムトラベラー」に関しては全く話し相手がいなかった。
SF小説も読んでいるのがおらず学校図書館にもろくにない。

そんな環境が変わるのは宇宙戦艦ヤマトというアニメーションがブームになり再放送をされた頃かな。
今まで観なかったような層が観るようになった。