熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

トイレの花子さん 明智抄の思い出

明智さんのコミックスに「図説オカルト恋愛辞典」てのがある。
それには明智さんから明子さん萌子さんことM子さんである私に捧げられた作品も入っている。
明智さんと私との出会いは今考えると非常識なもので当時の月刊誌アウトに漫研の募集ハガキが載った。それは某未来の道原かつみ的な方が出したもで、東映アニメーションの「ダンガードA」の「ドップラー総統」にマイクが向けられて「トニー・ハーケン」との関係を問う構図。
印象的な投稿ハガキだった。
なので当時の明石市に唯一あった画材屋(西明石)の「ミタニ」で未来の道原かつみさん、当時はミミさんにお会いした時に、「それは私です」という旗を背負っておられたので直ぐにわかった。
あの頃、旗は将来出世する人なら大抵あげて歩いていた。
ミミさんに声をかけて、かなりビックリされたがご本人だったので大久保にあった西友で開かれる「佐々木功ショー」にお誘いして、そこに明智さんと一緒にミミさんはきた。
ミミさんが佐々木功さんとゴレンジャーをデュエットしたのも今は懐かしい。
彼女が写真を今も持っているなら撮影者は私だ。コダックポケットカメラで撮影した。

明智さんは細くて長い黒髪が印象的だけど野獣の旗を立てて歩いていた。珍しい旗だった。
この頃、アウトや神戸新聞の趣味欄などのおかけで私の世界は広がり、大友出版にも出入りして同人誌界隈にも出入りしていた。
あの頃の同人界隈は旗を持つ人は多かった。
私は旗がないのでモブだと自嘲していたが、明智さんは明子さんはモブではないわよといつも言ってくれた。
私には私の旗は見えなかった。

図説オカルト恋愛辞典にある、トイレの花子さんのエピソードは私がお願いして書いてもらった。
私が通った明石市立魚住小学校で私は浮いていたのでイジメの対象だったので大嫌いだが、その中で似たような待遇を受けていた女の子が癌で足を切断した。
彼女も空気を読まないタイプなので私と話せる人だった。彼女の入院中に溜池で囲まれた魚住小学校のトイレの一室が洋式に改造された。
入り口から一番遠い個室だったのが、あの魚住小学校らしいなと今も思う。片足になるのだから入り口近くにすれば良いのに。
汲み取り式の臭いトイレの中にズラッと並ぶドアの一番奥の洋式トイレ。

松葉杖と義足の彼女はそのトイレを使っていた。夏休みが終わったら彼女は死んでいた。

私には八歳下の弟がいるが、弟から小学校の旧校舎のトイレの花子さんの話を聞いた。
彼女はオバケとされていた。
あんな薄暗い汚いトイレに地縛霊とされている。でも私が見た彼女は自転車で走り回っていた。相変わらず空気が読めない言葉を発していた。


トイレといえば、明智さんの作品の中に女性漫画家が二人住むアパートが出てくる。あれのモデルは明智さんとミミさんだろう。
指をオオサンショウウオに食べられて漫画家を断念した女性は飼い主に結婚を迫る。
結婚式の日、トイレから出てきた漫画家は主人公と話す。
主人公はその漫画家の幸せがどこにあったかを知っている。

明智さんは風呂掃除がとてもうまかった。
我が家の風呂も綺麗にしてくれた。

トイレ、トイレも綺麗が好きで、明智さんは部屋を片付けるのが下手なのに風呂とトイレは綺麗にする。
で、我が家に泊まってくれた時に、我が家のトイレをウォシュレットにしてくれた。
だから今も我が家のトイレには明智さんのウォシュレットがある。

そして私はトイレで泣くのだ。
だから夫はトイレの前で「明子さんトイレの地縛霊にならないでください」と、明智さんが驚いた美声で懇願している。

明智さんの作品に私はデビュー作から出ているが、あまり良いのはないな。
彼女の小説の中の私は結構ひどいなと思ったり。

で、これから誰が私を引っ張ってくれるのだろうか。
明子さんはモブじゃないのよと言ってくれるのだろうか。


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