熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

癌でトラウマ

私の両親は癌で亡くなったが、父はスキルス癌で諦めもついたけど、母の時は具合悪くて入院した病院で肺炎と診断され適当に退院させられて、苦しそうだから救急車でその病院に連れて行ってもらったけど、夜勤の医師は母のカルテを見て帰した。
アルツハイマーであったけど、苦しがる母が弟に会いたがるから電話をしたら息子の運動会で嫁の両親が泊まってで楽しみにしてるからと電話を切られた。
弟は母の痴呆が進んでからは寄り付かず、母を見たがらず。
冷蔵庫の前に弟の家の電話番号が大きく書いてあった。多分母は何回か電話をして留守電なので切っていたんだと思うが、弟は私がイタズラ電話をしていると怒ってきたことがある。
何回か母に会ってくれと電話をしたのは確かだ。
あと母はまだらボケで仲の良かった姉、つまり私の叔母が亡くなった時に墓参りに連れて行って欲しい。あと実家の墓にも行きたいと泣いて訴えてきたことがある。
この時も弟宅に電話をしたら嫁さんが出た。

叔母の墓参りに母を連れて行ってくれないか、娘が一所懸命に免許を持っているが母の具合は良くない、弟の車で連れて行って欲しい。お金は出す。
と、お願いしたら。

何故、付き合いのない親戚のために大ちゃんが行かないといけないんですか。と、反論されて諦めた。

弟は母子家庭の子なので嫁さんと付き合った時に嫁さんの御両親がつか父親が姑で苦労させないのを結婚の条件とした。
母にもきっぱりと言い切った。
私は嫁の父親が大嫌いだ。突然母に電話をしてきて弟が嫁宅になかなか来ないどういう教育をしたとか言ってきて母を泣かせた。
あと母に弟から経済支援を受けてるって話が違うと電話をしてきて、支援は受けておらず、もしかしたら回転寿司に行ったことが支援になるのかと母は泣いていた。
弟を溺愛していたから母は弟夫妻に遠慮をした。
弟夫妻に子ができたが、母が産院に行くことはもちろん断られた。
母が弟の子を見たのは半年後に入り口からチラリだ。

嫁さんの実家は新潟から出てきた無教養な人たちだった。
母が元結核だから危ないと思うような。
自分たちは弟夫妻宅に泊まりに行く。
母が弟から泊まりに来いと言われて喜んで行ったら、嫁の妹が泊まりに来るからと返された。

家は嫁の実家の援助で建ったのではない。家を注文建築し始めてから付き合い出したし、最初は専業主婦だ。

これが鬼嫁かと、本当にいたんだ鬼嫁。
母が正月に孫に会いに行った時にお年玉を預けた。
そしたら弟夫妻が損になると返された。
弟は八歳下だから私はお年玉をあげ続けたし、バイクも買ってあげたのに。

嫁の兄がテレビ局の人だと嫁の両親から自慢されたが、具体的な話が出ない。なんのことはない成果がない偉そうな人だった。私の特集番組の方が多いぐらいだ。


あと母の具合が悪くなった時に嫁の妹が介護職だということで、弟にめちゃ助言をしてくれていたが、結局は構うなということであった。

母の一度目の入院の時は弟は病院にきた。
母は数年ぶりに孫を見た。
嫁は来なかった。

その後母は何回か入院したが弟は来なかった。
遺伝子の恐ろしさというか私の息子が弟に似ていて声はそっくりだったので、高校生の私の息子がいつのまにか大二郎と母に呼ばれるようになった。
息子は大二郎と呼ばれることを受け入れた。

結婚するまでは私の子も可愛がってくれるおじちゃんだったが、嫁さんに惚れて結婚の条件の実家を構わないに従順に従ったのだろうか。
母がボケるまではたまに顔を出していたが、ボケが進行したら来なくなり、母は溺愛していた息子が結婚したことも忘れ、高校生時代の弟が同居しているという夢を見るようになった。

母は介護保険制度を受けるのを嫌がり、認定を受けてくれたのは要介護2の段階になってからだった。
ボケた母に振り回される私と子どもたち、夫は蚊帳の外で放置されて離婚を言いだしてきた。
妻としての役目を果たしてないので仕方ないと離婚届けにサインをした。
養育費を月7万円くれる約束だったが一ヶ月でくれなくなった。
それと訳の分からない脅しをしてくるようになった。
元々殴る人なので仕方あるまい。

生活の為に息子と娘は働きながら高校に行った。
息子が働き過ぎたら都民税が来た。
世帯収入に母の年金も含めてしまうと学費補助の対象にはならなかった。
でも大変なので福祉に何度かお願いに行くも申請用紙がもらえず、息子と娘も過労気味になり息子は学年万年二番だった成績が落ち始めた。

この間も息子が弟の代わりを演じる不自然な状況をなんとかしたくて弟宅には連絡をしたが、仕事に支障が出るとのことだった。

母の容体が変になり、病院に連れて行った、肺炎との診察で入院して返された。
帰宅しても苦しそうだし呼吸が変だった。
大二郎の名を何度も呼んだ。
大二郎に電話をし来てくれと懇願した。
「今日は息子の運動会でお義父さんとお義母さんが泊まりがけで楽しみにしてる」と、電話を切られた。

救急車を呼んだ、先日まで入院していた病院から返された。
近所の共産党系の病院に行き、王子にある病院を紹介してもらえて即入院となった。
母は弟に会いたがる。
私が電話をしても肺炎だろと弟はこない。そして私がイタズラ電話をしていたとお怒りだ。
してないし。

母の担当医が末期ガンだという。
弟さんに会いたがってますし、ご家族に説明したいと仰るが私が電話をしても来ないと言うと担当医さんが電話をして説得してくれて、数年ぶりに弟夫妻と会うことになった。

で全身に癌があると知った弟檄オコ。
超オコ。
私を責める。
スクショの議員さんと同じような主張だ。

その後、母の病室に行き、母が弟をどなた?と言ったのには悲しかった。あんなに溺愛していたのに。
私と娘はわかる。
息子は弟認識で、弟の子は、私の子、つまり初孫の私の息子と思われたけど、私の息子はあんなに無作法ではない。

母が死に、弟は私が母を殺したようなものだと、納骨も墓参りも仏壇を見ることも位牌を見ることも許さない。
母が亡くなって十年近く、数年前に共通の知り合いに頼んで墓参りを許してほしい。もしくは分骨してほしいと頼んだがきっぱりと断られた。

つか、母を癌にしたのは私なのか?
母はボケていたから私が健康管理をしなければならないけど、どうやれば癌を防げたんだろう。
私自身も介護で仕事を失い、無職となれば業界の友人だと思っていた人たちが逃げたし態度が豹変した。
専業主婦もだけど無職も信用がない。
コツコツ真面目に生きてきて積み上げたものが瓦解する。
大二郎は父の血が濃くてスポーツマンでイケメンで健康オタクだった。
具合が悪いと運動しろと助言する筋肉脳だった。

まあ、父が外で作った子として前妻の息子たちから絶縁されて、母が婚姻して河原になってからできた大二郎からも絶縁されて。
不思議なのは父の息子たち全員スポーツマンなんだよね。
河原家唯一の婚外子で運動神経が悪いから親戚の子に父の子ではないと言われてたけど、たまに兄や弟の異常なまでの危篤状態の親への冷たさを見ると、私は本当に彼らと同じ血は流れてないのではと思う。