娘が宮沢賢治を好きで、岩手県のゆかりの地をまわったことがある。
今は御両親の介護で大変になっている友人が車を出してくれて、ぐるりと岩手県を回った。
楽しみの一つの空飛ぶ団子はお店が臨時休業だったかで食べられなかったが、渓谷は美しかった。
私たちと同じく渓谷も団子も派の観光客たちと、「綺麗ですね」「団子食べたかったですね」などと雑談し違う店で団子を買い食べた。
少し欲求不満だったが仕方ない。
平泉や花巻、大河ドラマで使われる施設などを見学し、鉛温泉で立ち湯を堪能し、寂れた温泉宿風の実は歴史的にすごい隙間風が入る旧館が震災でも無事だったのは良かった。
あの宿は本当に良かったし、旅も楽しかった。
資料館がそれぞれ充実して、関連書籍も買えてオタク的にはメチャ楽しかったな。
あれは車があったから可能な旅程で、広い岩手県を公共機関で効率良く周遊するのは難しい。
永田町でもらってきた岩手県の観光協会の冊子の一部。新幹線の一関駅から千厩駅までの見事な曲線。
売れたのか売れなかったのかわからない、忘れられた画家の義父、熊谷登久平は夫が九歳の時に癌で亡くなり。
夫の記憶の中の登久平には揺らぎがある。
なので聞いた内容を元に資料を探しているが、ネット検索では見つからない。
私はプロではなく一般人、古本屋さんを彷徨うより、行政サービス、つまり図書館や博物館で司書や学芸員の手を借りて探せたらと楽したくて思った。
私が仕事をしていた頃は利用者に求められたら探して報告していたし、いいかなと。
家にある書籍や古本屋さんで手に入れた随筆等で登久平についての断片的な情報は見つけた。
東京航空計器で副社長をしていたとの記述や、中央大学で応援団の団長をしていた。
猛者だった。
驚いたのは、独立美術協会が出した本の中にあった一文。
刃物を畳に刺して「独立美術協会にいれろ」と言ったらしいという伝承。
書いているのは藝大で教授やってた絹谷幸二氏。
あらあらあらあら。
絹谷先生はうちのアパートの店子が義母の名を出して質問をしたら色々話してくれたなどの逸話が残っているわ。
近所で火事があったら駆けつけてくれたとかもあるらしいのだけど、自伝には熊谷登久平の一言もないのよね。
で、なぜ周年記念誌の中の随筆で「刃物を畳に刺して」というエピソードが突然出てくるのか、絹谷先生は誰に聞いたのかしら。本音言ったら絹谷先生以外は義父のことを書いてないの。書いてくださってありがとうございます。
あと少し詳細が知りたいのですが……
とかとか知りたくなるのが私の悪い癖。
岩手県一関市で熊谷登久平を含む所縁の三人の画家の展示をやったらしいとネットで知り、夫に尋ねたが知らない。
上見つけたブログのスクショ。
下写真。
義母の本棚を荒らしたが資料がない。
去年の冬に一関市の広報に書籍のことが載っていて、そのページの意見質問の所から詳しく知りたいと送信してみたわ。
返信がないので電話で問い合わせたけど、保留中に回線が切れちゃった。
で、半年経ったので文化系メルアドを見つけて問い合わせをしたのが先週。
今日電話。
義母が病身で展覧会承諾手続きをした記録がある。
書籍、パンフレットもうちに送った記録がある。
ごめんなさい。私の夫が記憶ないと言うから。
以前他の公営博物館が義母や息子たちに連絡をせず企画展をしたことがあったので、まあ、してもらえるだけ有り難いと思うべきだろうけど。
申し訳ないわ。
申し訳ないついでに、電話をしてきた方に、もらった電話で質問をしたわ。
展示会をやったのなら一次資料あるのかと。
絵は一関市に何枚あるとかの返事。
いろいろ質問したわ。
なんか噛み合わないのよ。聞くと四月から博物館勤務になった事務方で史をあまり知らないとおつしやる。
えええ、四月に入った事務方に結構不機嫌な遺族への対応電話をさせるなんていじめだわ。
めちゃ困ってはるやん。お気の毒な気分になってしまいましたわ。
マイナーな郷土出身者を知らない感じだしそれ以前に熊谷家を知らない。
面白いのに、もったいない。
例えば、横浜物語の背景に千厩の熊谷家があるのに、恐らくあの名作少女漫画を読んでない。
熊谷家から出た一人は、勝海舟ともお付き合いがあり、教科書に載っているペリーの写真のオリジナルは熊谷家所蔵なのに、なにその美味しい設定状態なのに。
まあ、それが普通よね。
昨日は千葉の幕張のショッピングモールで、板橋区を説明しようとして近藤勇の斬首現場とか通じなくて、自殺の名所高島平団地を出したら通じたもの。
明治は遠く、御維新はもっと遠く、幕末の開港なんて遠すぎるわよね。当時の経験者みな死んでるし受験に日本史選ばれないものね。
悲しいわ。
あ、またずれている。
そう熊谷登久平は忘れられた画家。
長谷川利行のオマケとして語られる。
うちには色合いとか凄く良い作品もいっぱいあるのよ。でも、売れた画家だったのかさえわからない。
ヤフオクで二枚で数千円の画家熊谷登久平。
かつて銀座三越で毎年個展を開いていた人。
あまりにも影が薄いので、夫たち家族が裕福だったのは東京航空計器の給料じゃないのかと疑問が湧いてきちゃう。
画家で食えるより、東京航空計器の方が良さげに思えるのは戦犯疑惑まで出した国策技術の会社となり、で戦後も生き残って今もあるから。
聞き取りの結果、一関市博物館には紙資料はないそう。
一関市博物館の近所にある空飛ぶ団子は諦め、義父の生まれ故郷の千厩の図書館と博物館に直行しようか悩み中。
夫が電話でたまに話している親戚が二人いるわ。
あと夫の叔父の奥様がご存命らしいの。
でも私、礼儀作法とか自信ない。
介護離職している間に名刺のマナーやお辞儀のマナーが書き換わっていたのよね。
マナー講座の記事を読むたびに落ち込むわ。
判子を押すときは頭を下げたイメージで斜めなんですって。
ご存知でしたか奥様。
うーん、千厩の図書館と博物館この二ヶ所は近い場所にあるわ。
民宿を探して三泊ぐらいすれば何かしら見つかるかしら。
一関から電車でかなりぐるりと回り、千厩駅からバスみたい。
義父が恋しがった千厩だもの、よい季節に行きたいわね。
いい絵を描いておられると思うのよ義父。
お母様を描いた踊り子なんて素敵よ。
伝承では昭和天皇ご夫妻が独立美術協会の展覧会においでになられ、義父に皇后さまが「お綺麗な方ですね」と仰り、「妻です」と答えたなんてのもある絵よ。伝承よ伝承。
一次資料はないし、目撃者もいないわ。
記録では独立展に作品を出しているし、講座も担当してる、美術年鑑に書かれている額面は高いわ。
でも知ってるわ、あれは目安価格で今ではあの値段では売れないわ。
義父への賞賛記事が全部岩手県の新聞の千厩地方版ってこともあり得るのが大正昭和の有力者の御曹司。
悩ましい。