義父、熊谷登久平が洋画家になりたいと言ったために、岩手県の千厩の実家から勘当されて困窮していた頃から彼を支えた内縁の妻、10歳年上の横江政恵。
彼女の位牌の裏には横江政恵と書いてあるけれど、新聞記事では違う名前。
写真は彼女。
一番上の記事は長谷川利行と二人展をやった時の読売新聞の告知欄?
戦中に行方不明になり岩手県の人が数年前に入手したという内裏雛の記事と写真。など。
東京航空計器の社員としてインタビューを受けている記事は戦後のもの。
社内の内装デザインも熊谷登久平が手がけたとある。が、東京航空計器には19年に入社した資料があるだけという残念な義父。