熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

低気圧が来ると具合が悪くなるのは私だけではないと信じてる。

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写真は足立区舎人の農家さんから無料で譲っていただいた花です。

江戸時代から続く地主さんで美味しいお野菜を門の前で無人販売とかされていました。

庭で花や花木が増えると分けてくださる奥様がいらして、我が子が使っていたベビーバギーもこちらから譲って頂きました。

昔、舎人には赤山街道の宿場がありました。

街道沿いの家は庭先を大きくとった作りで、市を開いておりました。

年末にはゴボウ市が開催され、少し遠い農家が持ち寄ったゴボウなどが売られて賑わいました。

舎人近辺の地盤は硬く、ゴボウ栽培に向いておらず正月料理に必要なゴボウは市で手に入れたのです。

昭和になり赤山街道は拡張されましたが、土地は両脇の民家の庭でありました。

庭がなくなり市もなくなりましたが、平成になり舎人神社を会場とし、復活しています。

 

竹ノ塚駅から見沼代親水公園駅行きの路線バスに乗り舎人一丁目で降りると、自転車屋さんがありますが、そこは明治創業で当時の免状と木製の看板が残っています。

もう花屋さんと自転車屋さんしか残っていませんが、昔は商店街があり、またバス停近所には宮本書店がありました。

そこから舎人小学校がある場所まで通る道には、トレジャーファクトリーの一号店がありました。早稲田大学出の青年が300万円で始めたお店です。

 

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https://www.edomap.jp/

古地図は #大江戸今昔めぐり さんから。

真ん中の家が花を譲ってくださった農家さんです。

明治時代になるとこの道沿いにも家が建ち始めて小学校もできました。

 

 

舎人小学校の向かいには朝日新聞舎人店があり、新聞奨学生だったご主人と集団就職をしてきた奥様が店長夫妻でした。

同じ系列店に新聞奨学生として働いていた私は集団就職で苦労をされた奥様に一人で上京をした不安などを相談に乗って頂いていました。

当時の舎人は美田の広がる森もある風景で、疲れたら古い商店街と肥溜めが残る舎人まで自転車で逃避をしていましたよ。

 

その店長夫妻が独立資金を貯めて権利を買い移り住んだのが、文京区千駄木にあった朝日新聞団子坂店でした。夫妻を慕った店員が何人かついて行きましたが、その中の十代の男子がいました。

彼はよく知っていた子でしたが、山手線内側で都会の色に染まり、金遣いが荒くなり給料の前借りを重ね、夫妻はボーナスカットで前借りを帳消しにしてやり直すよう諭しましたが逆恨みを受けて、深夜に唯一の出口である階段付近に灯油をまかれ火をつけられました。

二階の窓には防犯用の鉄の柵があり、なんとかこじ開け、店長は小学校低学年だった娘さんを抱いて飛び降りました。(私は娘さんは赤ちゃんの時から知っていて、舎人時代は一緒に図書館や公園で遊びました。)

火は燃え盛り人が集まりその中に放火した従業員もいたそうです。

 

娘さんの無事を確認した奥様は大事なものを取りに戻りました。

 

 

ご主人は娘さんを庇い大火傷を負いながら飛び降り、そのまま救急搬送をされ何度か手術を受けます。喉が焼けてて暫く喋れず、最初に出た言葉は奥様の名前でした。

 

その奥様はご遺体で発見されました。それはお風呂があった場所で奥様は水で消火しようとなされたのでしょうか?

木造の看板建築の家で当時は紙広告も多く積まれており、よく燃えたそうです。

新聞奨学生仲間からの連絡で知り駆けつけた私が見たのは無残な焼け跡で、私は当時朝日新聞団子坂店の不忍通りを挟んだ向かい側にあった花屋さんで、花を買い供えました。

この頃はバブル期で千駄木にも地上げが跋扈していたので放火犯は地上げ屋ではないかとも噂されていました。

 

オシャレで可愛いい奥様でした。

ご自分が集団就職の最終組で苦労なされたから学生に親身でしたが、その親身が通じなくて放火されてしまいました。

のちに犯人は中学生時代にテストが嫌で学校に火をつけたことがあると知りました。

店長夫妻はそれを知りながら雇っていました。

 

古い木造住宅で、新聞に入れる広告が店内に積まれ、残紙も沢山ある店舗兼二階は住居の階段に油をまいたのです。

 

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今も千駄木朝日新聞団子坂店の前を通ると苦いものが込み上がる時があります。

乳児だった息子を連れて遊びに行って数日後のことでした。新聞奨学生仲間が出産後に団子坂店の経理を手伝っていて、彼女の赤ちゃんと私の赤ちゃんを奥様は交互に抱っこをして重さを比べたりしていました。

残された娘さんももうアラフォーです。

店長は奥様のママ友と再婚され遠いお店に引っ越しました。

ご家族が皆幸せであることを祈っています。

 

 

 

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今日は日蓮宗系の高校の生徒さんが谷中の瑞輪寺さんに来てました。

八重桜が散り始めています。

 

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舎人団地のベランダで栽培して、谷中に持ってきた苺が今年も実っています。

娘が大好きで、昨日も熟したのを数回収穫していました。

私の腰の骨が溶けてからは夫が世話をしています。

 

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浮腫み曲がった指。

 

 

実は私、甲状腺機能が低下する橋本病持ちです。

この橋本病についてはそのうち詳しく書こうと思っていますが、更年期だとお医者さんも判断して、それにしても半身に麻痺が出る症状が変だと血液検査や尿検査、筋肉の組織を採っての検査、電気を通す検査などあちこちの病院をまわって、介護鬱と自立神経失調症とかの診断になり、怠い体で耐えていました。

 

今は病名が判明して甲状腺ホルモンのチラージンを飲むことで症状がある程度コントロールされています。

 

でも気温差合わせて体温を調整するのが難しく、今日のように突然気温が下がったりすると呂律が回らなくなり、動くのも辛くなります。

 

橋本病は日本の九州の医師が発見した病気で都道府県によっては難病指定をされています。

 

日本女性の多くが遺伝子を持っており、発病する可能性を持っています。

怠くてどうしようもない。

寒さに弱い。

眉毛が抜けた。

などの症状がありますが、脳の栄養である甲状腺ホルモンが自分で作り出さなくなる病気なので、症状も人によって違います。

 

怠いが続く方は病院で血液検査の時に橋本病の検査も受けてみては如何でしょうか?