熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

湯島天神の梅は今年も綺麗だった。

午前、具合の悪いハチワレ猫のチビを上野の森動物病院へ連れて行く。
抗生物質と点滴で様子見。
昨日は病院が休みなのでハラハラしていた。
ぐったりとしていたのが12時間後には身体を起こせるまで回復した。
もうお婆ちゃん猫なのである程度諦めもあるけど、風邪ならば治る年齢なので、今回は間に合ったのだろうかな。

午後、友人と待ち合わせをしていた湯島天神梅の花を鑑賞に行った。
三月まで次々咲くように植えられた梅は満開のもあれば、蕾が硬いものもある。
香よかった。
今年も猿回しが来ていた。

湯島天神の隣のトマソン的な赤煉瓦に烏瓜を見た。
都心では珍しいし懐かしかった。

歩いて広小路の松坂屋に向かい、少しお得意様サロンで休んでからバレンタインのチョコレートを購入。

友人のご子息、無事大学卒業と就職の祝いとして家族旅行はフランスにしたそうだ。
添乗員のいるツアーだとのこと。
結構羨ましい。

ベルサイユ宮殿行くのかな。


















































昔話をしようではないか

まあ、夫の幼なじみですけどね。
先日夫の幼なじみが遊びに来てて、彼は以前大河内子爵と同じ町内会に住んでいたので話を聞いたら、もう理研城下町と呼ばれた頃の人たちは殆ど住んでいないという。
彼自身も山手線の外に引っ越しているし。
夫の幼なじみは戦前富裕層だった家が多いが去年も一軒江戸時代からの呉服屋さんだった人が破産して上野の山を降りた。

今私が探しているのは義父と短歌の同人を立ち上げた人の子孫なんだけど、難しいなぁ。
戦後ある程度までは活動していたんだよね「まひる

息子夫婦はオタクの聖地、大洗に出かけた。
楽しそうなLINEが次々と入る。

孫は干し芋を幸せそうに食べている。

谷中のヒマラヤ杉

去年台風で大きく折れた同じ町会のヒマラヤ杉。
みかどパン屋さんの木で、奥さんがいつも落ち葉を掃いたりして綺麗にしている。
去年の折れた枝の撤去は台東区がやり、150万円ほどかかったと聞いている。

7年ほど前に「ヒマラヤ杉と寺町谷中の暮らしと文化、町並み風情を守る会」というのができて、募金を集めていたような覚えで、そこは法人化を進めていたはずだけど今はどうなっているのかなと。
情報が更新されてないんだよね。
ヒマラヤ杉は傷んでいると思うのよ。以前守る会の人が樹医もに診せるような事も書いていた気がするの。

谷中のヒマラヤ杉はうちらの町会、南三崎町会の中にある。
つかうちの斜め向かいにある。
気になっています。



https://mobile.twitter.com/yanakatown

http://himarayasugi.yanakatown.org/info/750.html


























買い物に走る。

根津のパン屋さんに行ったらパンが結構売れていた。
七味のパンは買えた。
西片の友人は谷中銀座経由でリバティでアンパンを買えたそうだ。
根津で焼き菓子を購入。
ここのは美味しいのに今日で閉店。明日までだと前書いてあったけど今日までだった。

不忍通りを東京方面に走り、不忍池からスカイツリーを見る。
池之端が高層マンションだらけになったから不忍池の日照時間が減り対岸の上野の山は明るいのに、西側は日が暮れている。


多慶屋は肉の日。
でも目当ては野菜。
目当ての野菜売り切れで、バナナ三房を百円で購入。
あとコンビーフ缶を7缶ほど。
夫と娘の好物なので備蓄を常にしている。

帰りは上野公園を突っ切って近道と思ったらイベントをやっていて混んでた。
閑散とした京都の写真とかネットに上がっているけど、上野広小路は相変わらず自転車で走りにくいし、先週行ったミイラ展も混んでいた。
多慶屋は空いている方かも知れないけどレジに並びはする。
近郊の人たちが来るからかな。
あとは京都より動線があるから外国人観光客だけでなく日本人も来てくれてるのかな。
台東区はインバウンドに期待しているけど、東日本大震災の時の外国人観光客の減り方に懲りてないのかな。













猫がいる部屋で地図を広げてはダメだと

東京大空襲の地図を見ていたら猫が飛び込んできて穴が空いた。
爪痕ですけどね。

家の裏は墓場だけど、その先に電線がある。
夫が幼い頃に義父が空襲の話をした。
先に爆弾が落ちて電線に吹き飛ばされた衣服や遺体が洗濯物のようにぶら下がっていたと。
谷中には空襲被害を語り継ぐお地蔵さまや会がある。
今年は戦後75年で生存者たちの話を聞ける機会も減った。
大空襲の地図は東京大空襲を記録する会が戦後40年の時に復刻したもので、地図帳と同じく早乙女勝元先生から戦後50年の頃に頂き折り目がボロボロになるまで使った。
今回オークションで見つけて落札した。
手放した方がいるのねと思って封筒の裏を見たら知っている名があって、彼女が誰かに差し上げて、持ち主は多分亡くなったのだろうなと。

あ、東京大空襲を記録する会ではなく、「東京大空襲40周年記念行事実行委員会」が復刻をしたんだ。
住所が千代田区一ツ橋の日本教育会館になっている。
去年ここの一階のプシケでプリンを食べた。
昔は図書室に調べ物にも入ったなあとか。

去年お会いした早乙女勝元先生、少し体調が悪そうだった。いつまでもお元気でいて欲しい。



https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201903/CK2019030102000125.html

https://plaza.rakuten.co.jp/chizulove/diary/201403090000/?scid=wi_blg_amp_diary_next





いつの日か孫と科学博物館に行けるといいな。

息子から孫の動画が送られてくるが可愛い。
たまにしか会わないが、それでも私の母が弟の子どもに会えた回数を桁違いに上回っている。

母は弟を溺愛したが、弟の嫁の実家に呼び出されて結婚の条件を色々つけられた。
母子家庭の都営の男にくれてやるつもりで育ててない可愛い娘が歳下の都営住宅住まいの母子家庭の男にくびったけになったので不満が半端なく、娘夫婦に近寄るな、老後の介護をさせるななどの条件を付けられた。
弟は歳上の彼女に惚れていたので、長男が生まれた連絡だけよこして母に見せてくれたのは数ヶ月後に一回。
嫁の父親は気に入らないことがあると母に弟の育て方の苦情電話をよこしたり、母は何回泣かされたか。

弟は結婚して人が変わった。
母が末期に会いたがって泣いて私は随分と困った。

私の息子は婿養子に行ったが、泊めてもらえたこともあり、孫と食事もできて幸せだ。
孫の動画も幸せだ。

我が家の近所には子どもたちが大好きだった上野動物園と科学博物館がある。
子どもたちがウルトラマンのロケットと喜んだラムダロケットと発射台や、沢山の剥製とか孫を連れて行きたいなと思う。
そう思えるのも幸せだと思う。
母は弟の子に対して何も望めなかったから。
今頃大学生か?