熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

発熱中

 

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某日、朝食をほとんど食べ終わったあと、オムレツにフォークをつけてから写真に残しておこうと思い撮影したけど、インスタ映えじゃないと嘆いたやつです。

 

今日は昨日より熱が高くだるい。

 

我が家に来た大人猫のノルウエージャンののるる君は、多少ビビリですがお腹を見せたりスリスリしてきたりします。

飼主さんがヒルズサイエンスダイエットもくれたので、それをのるる君の皿に盛るのですが、他の猫の銀のスプーンを仲良く食べてて、サイエンスダイエットは地域猫ハチロクしか食べないという。

 

昔、今娘の猫になっている保護猫のにゃふがヒルズサイエントダイエットプロ幼猫用と共に来たのですが、大人用の時期になり、大人用のエサと幼年用よエサを混ぜて出したら器用に幼猫用のエサを床に捨ててって、大人用だけ食べる猫となったことがある。

 

そして、人馴れし過ぎている捨て猫のミケコを台風前に保護したらサイエンスダイエットを食べない。

困って地域猫の人に安いエサをもらって与えたら食べた。

で、にゃふもそちらを食べるようになり、サイエンスダイエットは娘の友人宅に貰われていき、そこの猫のうち一匹がよく食べて、その子の毛並みがツヤツヤになったという。

多分サイエンスダイエットは猫の身体に良い。

でものるる君は食べないし。

 

うーん。

専属の子守もいた元ボンボンの夫が、子どもの頃良いものばかり食べある日小僧寿しを食べてた時に、こんな美味しい寿司があるんだと感動した話や、マクドナルドを高校の時に食べて感動して今もマクドナルドのシンプルなハンバーガーが大好物なのと似たようなものだろうか?

 

どうしようのるる君。

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体調悪いので、一見豪華な箱根離宮中心の旅行記録を貼る

息子夫婦の第一子、私の初孫の初節句と私と奥さんの母の日祝いに、塩漬けになっているリゾートトラスト会員の権利を使うことにした。

使うのは二回目、バブル期に義兄が義母のために購入して二回目。当時は財産チェックとお家訪問があって合格したら買えると言われていた会員権。

 

リゾートトラストの宿泊先は私が恋し、憧れ、小説で賞を取れたら自分へのご褒美に泊まるつもりでいた箱根の奈良屋の跡地。

https://www.yu-hodo.jp/view/29/index.html

相続税に耐えきれず、ご遺族が手離したら名古屋の成金が買い取り文化遺産的建造物を破壊して建てたアッパー層に人気のリゾート、箱根離宮にサクっと宿泊。

だって会員権持ってたら箱根離宮は安いもの。

株主優待を使うと食事も半額。

 

バブル期の数百万円の価値って今より低く、リゾートマンション個人所有や別荘を変えない層が買ったのがリゾート会員権。

年会費払って、いつか返ってくる預かり金を考えて保持し続けていた会員権。

 

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ランチは安定のヒルトンの小田原へ。

迂闊でしたがテレビで放映されたあとだったので混んでました。

ここはデザートも美味しいので息子夫婦に先にデザートを確保しておくように言いましたが、息子は本気にしない。

奥さんは元業界人に慣れてない千葉県船橋市の素直なお嬢様なので先にデザートを確保しました。

 

彼女の祖父様のご趣味は狩猟とゴルフです。

婿養子のお父様が散在し、追放しましたが手遅れで、その後お祖父様の相続税キタいう良くあるパターン。

ピアノ室がある家庭で、素直な良い女性に育っておられてて、息子を婿養子に選んでくれて感謝しかありません。

 

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孫が芽キャベツを知らない意識高い系に育ったら恥ずかしいです。

おばあちゃんは物心がついた頃に芽キャベツの出来た鉢植えを毎年届けて奇形じゃないと教えましょう。

放射脳の意識高い系は苦手です。

 

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支配人が色々と配慮してくださり、時間制限がなくなりゆったりと食べられました。

美味しゅうございました。

こちらは一休コムで三日前までに予約をすると、安く食べられますが、私たちは赤ちゃんがいても困らない席が欲しかったので正規料金で予約しています。

お支払いは大丸松坂屋お得意様ゴールドカードです。

年会費安くて飛行場のラウンジ使えるし、旅行の手配も頼める上に、ポイント貯まるから好き。

 

息子は食後のデザートを数種類しか食べられませんでした。

帝国ホテル孔雀の間の限られた層のパーティでも人気のデザートは無くなるものなんですよ。

大量生産できないからね。

美味しくて可愛らしいデザートは。

 

箱根離宮に到着後雨が降ってきました。

息子夫婦は庭園散歩を楽しみましたが、私は足腰が悪いのでやめました。

奈良屋の庭園だったものになんの価値がありましょうか?

作り変えてるし。

まだ、金払って大名庭園回る方が有り難みがあるわ。

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上の二枚は地方の人が馬鹿にする「北区」の旧古河邸の日本庭園部分。

北区も好きな区です。

 

地方の人って港区と文京区と千代田区だけがハイソタウンと思っているような感じがします。あとは世田谷区と杉並区?

三鷹市もハイソ意識なのかな? 

 

文京区の千駄木商店街理事の不動産屋が「文京区」に対して半端ない選民意識を持っておられて街並み浄化のための努力をしておられて、すごいなと思います。

私が怖いと感想を述べたところ、谷中の住民運動を揶揄されちゃいましたが、私は千駄木の意識高い系の不動産屋さんは放置してあるコーンを切り刻んで写真を載せたりしてて、廃棄物でないのに自己判断で処分する俺が法律的な感じも怖いですね。

正直言って千駄木の商店街の会でも承認済みとか読むと、ママチャリで買い物に行く私も相応しくないと商店街の人たちが見ているのではないかと感じるようになりました。

だって不動産屋さん商店街の理事を前面に出して戦っておられるもの。

区議会議員に立候補をして文京区を自意識に相応しい街にすれば良いと思ってますね。

 

箱根離宮に話を戻します。
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箱根離宮の一番安い部屋なので五人までで一泊二万円しません。

リゾートトラストや紀州鉄道は部屋をチャージするという形で部屋単位で値段が決まります。

離宮シリーズはキラキラしているブログにたまにでてきますが、会社が保養所代わりについでに税金対策で権利を持っている場合があります。

その場合は抽選です。

駐車場は高級スポーツカーの展覧会のようでしたが、区分オーナーのスペースは乗り心地が良さげな国内外車でした。

キラキラしたスペースカーの中にレース場仕様のタイヤのがあって、カースポーツ好きの奥さんと指差してキャッキャしました。

多分自宅のカースペースが広いのでしよう。

三重ナンバーの車が斜めに停めてあったり、乱雑な入庫が目につきました。

 

私たちは軽自動車です。

実は少しいじってありますが、息子は気がついていません。


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部屋のベランダからの眺め。
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和室は琉球畳です。

奈良屋を求めてはいけません。

スタイリッシュにキラキラです。
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赤ちゃん用ベッドを貸してくれます。

従業員たちはとても、気持ち良い若者たちです。 

離乳食を数十秒温めるために呼び出すのは気の毒だから電子レンジが欲しいですが、生活感はダメですよね、離宮だし、奈良屋にも多分レンジはない。
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リゾートトラストの会員カードがゴールド色なので、紛らわしく。

何回か大丸松坂屋のお得意様カードと間違えてしまいます。

大丸松坂屋のお得意様カードは、いわゆる百貨店のゴールドカードで年会費が無料になる場合もあり、年会費は安いですし、東京の大丸の会員用の部屋が使えるのが良いです。

コミケの帰りに戦利品を読むのに最適ですね。

最近は同じ三井住友系の黒いカードの会員も使えるようになりました、金払えば誰でも入れるようになったダイナースとかいいます。アッパーな女性にモテるそうですね。

百貨店のゴールドカードは会費が安いのでがっかりされると秘書の対談にありましたのに、彼らはダイナース倶楽部に行けばいいのに。

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私は庶民なので青いケシが好きです。

税金を使って湿原を守ってくれ、安く見学できるのは幸せだと思っています。

どうか民間に払い下げしないでください。

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熟睡した孫。

来年も多分退屈するだろうな。
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同じ頃、足立区舎人のママ友は孫とゆるキャラショー鑑賞。

彼女の一族も江戸時代の地図に残る地主でしたが、財産税と相続税とあれこれで今は実家の敷地しか残っていません。

処分したものの中には某怪獣人形を作っていた会社の金型もあります。

知ったときはオタク仲間の彼女と嘆きました。

 

お母様のお兄様がボケた時に工場跡地を従兄が売り、家にあった神社も破壊して建売にし、次々とうって、婿養子を得て分家した彼女の実家しか土地が残っていません。

従兄一家は気がついたら消えていたそうです。
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富士山と孫と私。

今首都圏で暮らして孫を抱けるのは贅沢の極みでしょう。
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このあと全体が立ち入り禁止に。
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昔から大好きな大涌谷の黒たまご。
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火口付近。


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伊豆。
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国立大学卒の友人の卒論が川端康成でした。

他にも藤村を卒論にしたのやら文学部が楽しい時代でしたね。


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伊豆浄蓮の滝の猫。

観光客慣れしてます。
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息子の奥さんと天城越えを歌い出したら息子が驚いていました。

私は仕事の付き合いのカラオケ以外ではアニカラしか歌いませんでしたから、私が演歌を知っているとは思ってなかったようです。

軍歌と戦中戦前の歌謡曲は家でも練習していたので歌うの知ってます。
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この三人を眺める幸福感、私本当に家族に飢えていたんです。

また息子が結婚したってことも今は贅沢な喜びです。

だれでも結婚したければできるよう、政策でなんとかしてください。

初婚年齢どんどん上がってますよ。

独自率も高くなってて少子化一本道って感覚です。


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ここのワサビ団子美味しいです。

騙されたと思って食べてください。

おばあちゃんがタレを手作りしています。
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明太子パーク。
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明太子パークの足湯から見える富士山。
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足湯。
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ワサビの香りを全身で感じるトンネル。
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しつこいですが、伊豆への入り口という意味で伊豆ゲートウェイ

品川ゲートウェイなんていう土地ころがし不動産屋的のセンスと一緒にしないでください。
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この旅行、息子の奥さんの愛車で回りましたが、運転も全部彼女です。

崇めますよ。

記録の途中にバイクで移動している表示がありますが、旧街道の眺めを楽しみました。

軽自動車だからできるルートです。

 

彼女の最長ドライブは和歌山往復で、目的地は元陸軍の煉瓦だらけの某施設ですが、息子はきょとんとしてました。

和歌山に煉瓦の史跡に行ったと聞いてピンとくる姑もアレですがね。

 

出産難産でしたし、無事に産んでくれてありがとう。

夜泣き大変なのに笑顔が可愛い愛されていることを疑わない乳幼児に育ててくれてありがとう。

抱っこさせてくれてありがとう。

 

私ができることは選んでもらったベビー用品を送ったり、東京に来てくれた時は孫を預かって、二人で谷中周辺のランチとかを楽しんでもらうことぐらいだけど、沢山沢山喜びを味あわせてくれてありがとう。

 

私的、南青山。赤坂のTBSから赤坂図書館への道程

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このTBS内の石像が昔から気になっているのですが。


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このアプリ #大江戸今昔めぐり を見ながら歩くのが好きです。

残念ながら、アプリのスタンプラリーイベントを失念して氷川神社に寄り損ねました。
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富山県の建物。

かつてはあちこちの県が拠点を高級住宅街に持ってた記憶なんですが、昔は県民用寮とかも見かけましたよ。
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高橋是清邸跡。
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南青山の都営住宅。

ランチは千円以下で食えます。


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都営住宅一階の店舗は満室で、足立区との違いを見せつけてくれます。

競争率高いだろうな。

 

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浅草松屋の、この記述を読んだ覚えがあって、どの本だったかを忘れて検索がしやすく、図書館をはしごしやすい赤坂図書館に行き、見つけた。

港区は三田の図書館も好きです。

猫家族が増えました。家族って良いですね。

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すみません掃除ができないお婆ちゃんです。

事情があって愛猫さんと暮らせなくなった方から預かった、のるる君です。

預かったと書いているのは彼女が会いたくなったらいつきてもらっても良いからです。

子猫から六歳半までキチンと世話をした人が別れなければならない事情って、あるときはあるので、うちで良ければと。

 

うちはもう猫を増やさないつもりだし、のるるちゃんがお迎えする最後だと思っています。

飼主さんが大事に大事に育てたのるるちゃん、うちも大事にして一緒に暮らしましょう。

 

可愛いですよ。

 

以下はスマホの中の猫たち。

地域猫、外猫、息子夫妻の猫、娘の猫、うちの猫、出会った方の猫、保護猫カフェのこ。

もう居ないこも沢山います。

 

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スカイツリーができて地上げが進む墨田区の商店街の地域猫
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娘の猫、にゃふとミケコ。

どちらも保護猫。
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上野公園の猫。
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谷中墓地の黒猫さん。
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谷中墓地のフサフサ猫。

最近見かけない。
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息子が仕事先で拾って帰った猫。


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息子夫妻の猫を預かった一回目。
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私と付き合う前の夫の家猫。

床は猫が掘った穴が空いてます。

 

ネットのこの写真に釣られてハンドルネームで話すようになり、色々話してたら知り合いで、共通の知り合いも複数いて茶飲み友だちになってしばらくしたら突然プロポーズされてビックリしました。

 

私は倒れるときは本当に倒れるし、免疫異常があり、喘息もあり、母の介護をしてた時に足を痛めてしまったために杖だったのでした。なので彼には「友だちでいましょう。良い人ができたら結婚するのが吉よ」と、勧めました。

彼には見合いも来てましたし。

その相談もされたから勧めましたし。

 

なのに猫と暮らせて、私の猫の医療費も心配ないとか、自分が突然死んだら猫が路頭に迷うとか、私が良いとかで、まあ、私も好きだったので事実婚ならと話してたんですが……今は彼の籍に入ってます。

 

再婚したらそれまで悩んでいたことの多くが解決しました。

足はリハビリに通えて寒い時以外から杖なしで歩けるようになりました。

 

就職氷河期の娘も元々三世帯住宅のこの家に同居したことで非正規でも余暇を楽しめるようになり、千葉の古い家のお嬢さんと付き合っていた息子も安心して婿養子に行きました。

 

息子は私が何回か危篤になったので、墓について悩んでいたようですが、谷中に夫の家の墓があることを喜びました。

「ここなら彼女の家から京成線一本で墓参り近くて良いですね」

 

まぁ、夫と付き合ってる間にも私は緊急手術したし、入籍後に倒れたら敗血症で緊急入院。

この時は結構危ない所でした。

その日のうちに血液検査が出来る診療所が上野桜木にあって助かりました。住んでいた足立区舎人には即血液検査の病院がないので、手遅れになっていたでしょう。

 

引っ越し業者にキャンセルを子どもが入れて、退去手続き中だった都営住宅に待ってもらい、二ヶ月近く入院してても猫の心配も自治会の掃除当番の罰金もなく、洗濯物をしてもらえたのは結婚してたからで、助かりました。ありがとう。

 

家族って弱いものには有難い制度です。

実家が弱かった私には今とても楽です。

 

つか、今の日本の制度は余程の実力者か実家がめっちゃ強くないと先が見えない感じ。

戦後古い家族制度を壊し、核家族という単位にしたら子育てが大変になり、少子化が進み年金制度が崩壊しつつある。

介護業界は慢性的人手不足なのに給料安く、派遣切りにあったり、働いてても金銭的に苦しい若年層を助ける為のNPOの職員の月給が十七万円で自分の衣食住に余裕がない。

自動車整備士が車を買えない給料だから整備士も足りなくなっている。

手書き原稿の作家の原稿料から打ち込み手数料が引かれる。

 

フリーターを推奨したり、契約社員の方が自由があるとか、記事書いたマスコミの罪も大きい。

今さ、新聞社なんて不動産収入が大きいんじゃないのと邪推したくなる購読率。

軍靴の音が聞こえるとか言ってる人もいるけど、既に社会保障などのライフラインがかつての家庭制度に回帰しているのでは?

格差が他国よりマシと発言している層がアッパー層じゃないの?

 

 

夫たちの世代の管理教育、私たちの世代の詰め込み教育と総合選抜や共通一次試験、次の世代のセンター入試、団塊ジュニアの弱肉強食の競争世代、から私の子の世代のゆとり教育とか、親や学校が蓄積してきた勉強のノウハウも崩壊してる。

団塊ジュニアはかつてはイチゴ世代とか言われてて彼ら向けの商品が次々と開発されてたのに、今はロスジェネと呼ばれて使い捨ての安い労働力とされてしまってて、親である団塊世代は数の力で押し切ったのに子世代は政治から見えないフリをされてる。

 

あ、話が毎度ですがズレました。

 

猫の家族が増えました。

新しく迎えられたのは、夫名義の家と、私たちアラ還夫婦に何かあったら猫の面倒を見てくれる娘、私たちと娘が災害でダメになっても離れた千葉の船橋のしっかりした土地に住んでいる息子夫妻が猫の面倒を見てくれるからで、人間の家族も落ち着いていたら良いと。

婚外子で普通の家庭に憧れた私からすると、米が切れそうになったら買えば良い家庭って幸せだなと思うのです。

 

毎年のように知り合いが孤独死する年齢になったので余計に思います。

 

 

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谷中の路地の猫。
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塀の上の猫は飼主さんが亡くなって、これから取り壊される家から離れない三毛猫。

地域猫の人たちが保護しようと頑張っていました。


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私が溺愛していたチャミ。
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息子夫妻の猫。
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鼻にチューブを入れて栄養をとっていたみーくん。
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テレビを観るベル。突然死でした。
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猫が増えるとトイレとか教える係のチビちゃん。

鼻炎持ちのせいで捨てられたのかも知れません。
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上に転がっているのは私の腰のコルセットで、特注品です。

保険適応でも沖縄旅行代ぐらいです。

腰の骨が謎の菌に喰われてしまったので保護してました。
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下は最近マスコミによく出る谷中の保護猫カフェの子たちです。

私は地域猫の世話もしているので、菌を持ち込む可能性があるので行くのをやめました。

今はお店側も外猫と交流がある人や猫カフェのハシゴをする人に注意喚起をしています。

若いツヤツヤした猫に会えるのは楽しいのですが、何かあったら可哀想なので。
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谷中の墓地の桑の実

谷中生まれ育ちの夫から谷中の墓地にある桑の木の場所を教えてもらい、喜んで出かけたら全部摘まれたあとだった。

帰宅して夫に言ったら「みんな知っている木だからね」と。

うー庭に桑を植えたい。

 

夫に教わった道を辿って行ったら、偉い人たちの墓に次々と遭遇してひれ伏したくなった。

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鎮魂の碑に書かれていたあたり

我が家の裏にある瑞輪寺の墓地。

その中に江東橋一丁目の空襲被害を伝える慰霊碑があることは以前書いた。

先日、東京大空襲を記録する会の中心メンバーの一人である早乙女勝元先生にもその話をしたら、先生は地域の被害状況を具体的に覚えておられた。

それをヒントに両国高校辺りの被災者の流れを歩いてみた。

結構疲れたので詳細は後日。

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足立区舎人への愛

嫌なことも悲しいこともありましたが、学生時代を過ごし子を生み育てた足立区が好きです。

 

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舎人公園駅で足立区のレンタサイクルを借りました。

係のおじさん親切でした。

電動でない自転車ですが、足立区は基本ほとんど平地なので気にせず行きます。
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ここはロケット公園。


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西伊興の早乙女勝元先生のご自宅です。

取材の仕方やメモの取り方、資料の調べ方は先生に教わりました。

先生の書籍ではNさんで登場している場合もあります。

私の亡母と同じ昭和七年生まれで、お母様は私の母方の祖母と同じ年生まれなので、年代の話題も親の年齢換算でわかりやすかったです。
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お元気です。

写真アップ許可を得ています。

初めてお会いした時は今の私ぐらいかな、健脚で山登りもされていました。

当時既に東京大空襲を記録する会の主要メンバー最期の一人でした。

東京都に空襲記念館ができる予定で資料管理をされておりました。
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鉄道の枕木で作った家。
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この先にうちの子らが遊んだ広い野原があり、ミカンの木も植えられていて鶏がいました。

我が子らは鶏と遊んだことは忘れているかな。

土地は空襲記念館を建てるために手放されて、今は建売住宅が並んでいます。

 

昭和四十年代に東京空襲を記録する会が成したことは講談社から全五巻の東京大空襲を手にとって頂きたいです。

今年初めに千駄木にあった古書店ほうろうさんで五千円ぐらいで売られていました。

安くなったなと。

 

浄財で編纂された東京大空襲の記録は当時アメリカで公開されていた公文書や天候の記録、空襲を体験した方々の投稿などからなり、投稿をその時いた地点ごとで纏めています。

重複する記述もあります。

 

編纂時の話を聞いて印象に残っているのを一つ。

 

火から逃れるために隅田川に飛び込んで自分だけが助かった少女。助けられたときに兄が大切にしていたカメラがどうなつたか気にします。

川からある少女を助けた男性は、少女がカメラはと呟いたこと手記に書きました。

その二通の投稿を読んだ編纂者が同一現場の二人ではないかと考えて双方に連絡をします。

二人は助けた男性と助けられた少女でした。

少女は「リンゴの唄」というヒット曲を得た歌手でした。

 

東京大空襲の編纂メンバーは超豪華。

皆さま手弁当で左右混じって、戦記雑誌丸の社長も協力をしてました。

政治的背景は知りませんが、財界人も庶民も戦争が起きたらどうなるかを後世に残そうと大変な作業を成し遂げ、予約も沢山入った所でオイルショックがきてインクと紙が値上がり印刷製本する予算が足りなくなった時に講談社が手を差し伸べました。

 

早乙女先生には左右が混じって編纂をしていた時代のことも書き残して欲しいです。

 


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アンネのバラ

手入れをされていた早乙女先生の奥様が亡くなられて十年。

ご一緒に映画に行ったりしてました。


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以前、足立区古千谷にあった手作りアクセサリーショップ、アンテナさんは舎人駅近くに移転しました。

ここの作品が好きな娘がモデルをしたこともあります。

宝塚の方がオリジナルアクセサリーを注文することもありました。

 

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昔からある肉屋さん、もしかしたら戦前?
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昔は森の中を走る道でした。
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足立区は土地が低いので舎人入谷地区の古くからの地主の家は盛土をした上に建っています。それでも足立区では海抜がある方なのがこの地域。

なのでかつては海辺の集落でした。

遺跡も多いです。

荒ぶれる毛長川の洪水も多かったおかげで肥沃な土地となっており、昭和三十年代には面積当たり石高日本一の土でした。

幕府の領地と寛永寺の領地であり、年貢は低くく抑えられており、豊かな村でした。
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猫。
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お世話になっていた病院。

大きな病院で肺炎として入退院を繰り返していた母を、王子の病院に紹介してくださり、そこで母が末期ガンであったことがわかりました。

 

ボケていて痛みをうまく表現できなかった母に緩和治療を受けさせることができました。

感謝しております。


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畑。
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我が子が通い、私が広報などの役員をしていた小学校。

遠くに見える鳥小屋には二十歳超えのコボちゃんというガチョウがいて、息子と娘がいきものがかりで世話をし、ママ友の第三子がいきものがかりの時に天寿を全うしました。

初代校長と二代目校長とは博物館時代に一緒に足立区史編纂の仕事をしていました。

 

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舎人のパン屋さんポピー。

子を産む前からありました。

東京都知事から賞を受けたパン屋さんですが、一日に作れる量には限界があり、特に食パンは予約でほとんど売れてしまいます。

電話予約できますので、予約してからレンタチャリできた。
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もう今日のパンは殆どありません。

パート帰りのお母さんたちが買って終わりでしょう。

お昼時はパートの昼休みのお母さんたちで混みます。

朝のパンと昼のパン、種類が違います。

朝は朝食用に向いているパンが並びます。

 

児童館で開催されてる幼児教室で運動会が開かれた時は、パン食い競走用のミニクリームパンを焼いてくださり、幼児たち大喜びでした。

あと当時は珍しかった桜餡を使ったアンパンや新しい事を取り入れる店長さんで、今日も私が知らない新作がありました。

 

 

特筆は食パン。

美味しいから。とにかく美味しいから。

 

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ポピーの隣はラーメン屋さんでしたが、建て替わってて民家となっていました。
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舎人団地。
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老人館にあった浴場の跡。

大きなお風呂でワイワイやったあとカラオケができる場でしたが、予算削減で無くなりました。

団地のお風呂はコンクリに風呂桶を直接置き、バランス釜で沸かすタイプでしたので、風呂桶に入るのが高齢者には大変でした。

それもあり、需要はあったので、当時の自治会長の入野さんが存続願いを出していたのですが叶わず。

 

あれから高齢化が進み独居高齢者も増えたのを思うと、残っていたらドロドロで発見される人も減ったかもと思います。
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舎人団地近辺初の食材屋さんだった入谷ストア。

肉屋八百屋魚屋がありました。

今は肉屋さんだけが残り、ここの焼き鳥は人気があります。
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30年前まで唯一のコンビ二だったヤマザキさん。

ご主人はパスコで修行されたパン職人でパイが得意でした。

突然亡くなられて奥様が守っておられます。

手作りのお弁当も人気があります。

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我が子が通っていた保育園。
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給水塔。


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この棟の下に公設市場と個人商店が入ってました。

公設市場とか買物難民対策に都が安く提供する商店街のようなものです。

舎人ストア、靴屋、板倉医院、文房具と駄菓子の店が入っていました。 

板倉先生は軍医さんだったので雑談が面白かったです。

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茶色マンションは元農地で、ここで採れるキュウリは絶品でした。
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かつては大賑わいだった舎人商店街。

ここにあったスーパライフは全国のライフの中で広さ当たりの売り上げ一位で、通りには買い物客の自転車が累々と並びました。
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洋装店とシャープの電気屋さんと居酒屋があった場所。

電気屋が最初に撤退して持ち帰り寿司屋ができ、結構美味しくて並びました。

後脚が足りない猫を飼っておられました。


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魚屋さん。

母はここの刺身じゃないと食べませんでした。


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肉屋さん。

端っこのポテトは安くて、これがお昼ご飯の子もいました。

これが大好きな娘のために買って帰りました。

ここのハンバーグはしっかりと肉です。

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酒屋さん。

昔は家に届けてくれていました。

高齢化が進み、各家庭の酒量も減り配達をやめて、今は商店街で買ったオカズで飲める場も提供しています。
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陶器屋さん、花屋さん、団子屋さんが並んでいた場所は貸店舗と鯛焼き屋さんと米屋さんと焼き鳥などの総菜屋さんが並び、少し離れてナショナルのパパママショップがあります。

この電気屋さん修理をしてくれるので、母はここで買っていました。
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ここにはケーキ屋兼パン屋さんがありました。

ケーキが神戸のケーキ屋さん並みに美味しかったのですが、ご主人が体調を崩されて閉店し、あとには服のリフォーム屋さんが入ってました。

その奥の布団屋さんには随分とお世話になっていました。

小学校の防空頭巾はここで買うものでしたが、少子化で今は扱ってないそうです。

向かいの豆腐屋さんはお元気です。

その隣の美容院は昔は子どもにアニメビデオを見せながらカットしてくれる店でした。

 

その隣には青鞜という布や刺繍糸などを扱う店があり、赤ちゃん用品を縫うための布とか買ってました。

青鞜はあの青鞜からきています。

 

その隣は毎日新聞の販売店

団地の少年サッカーに協力的な店でした。

その向かいにはミッキーというレコードと本屋さん。入り口にあったジャンケンポンのゲーム機も子が並んで遊んでいました。

商店街の懸賞もここが会場でした。

あとは歯医者さんや整体屋さんやお洒落な服屋さんがありました。
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ここにあった、ママ友が経営していた「どさん娘」のエビチリは、ハッキリ言って赤坂飯店より美味しかった。

赤坂飯店を接待に使ってましたが、どさん娘のエビエビしたエビチリが美味しかった。

残念ながら介護のために店をやめて、今彼女は大家さんです。


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地主さんが建てたアパートと貸店舗。

地主さんは持ち帰り寿司屋を経営してましたが、後からできた持ち帰り寿司屋が美味しすぎたので、貸店舗になりました。

その後は百均、生協系医療相談室、生体販売をしないペットショップで、そこで娘の愛猫のにゃふちゃんを貰いました。

捨て猫があると飼い主募集をしてくれる店で、店主さんも猫を飼っておられました。

そのペットショップも無くなっていた。

帰宅して娘に話したらショックを受けていました。

貰い手を選ぶ保護猫活動をしおられましたが、ネット上にあるような厳しい感じではなく、猫好きネットとアンテナを使っておられました。

ここで斡旋された保護猫は皆大事にされています。


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焼き芋が美味しい八百屋さんがあった所。
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コーセ化粧品と服と裁縫道具を売っていた店。


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都内でも珍しかった生パスタを出す喫茶店でした。

遠くから車で食べに来る人もいましたが、閉店しました。

閉店する時に分けて頂いたパフェの器は育児時代に大活躍をしてくれました。
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母が仲よかったクリーニング屋さん。
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床屋さんだったところ。

顔そりが安くて気持ちよかったです。

田園と森と泉と宿場町のある地域だった舎人入谷地域がバブル期に一気に宅地化していくなか、メダカを固有種だと言って保護をしていましたが、自然に返せる環境はまだ遠いのに閉店して売られていた。
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谷根千にはないほっともっと。
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蕎麦屋の田口屋さん。

舎人入谷地域の蕎麦屋は私にはしょっぱく。

ここのが一番好きです。

出前も迅速。

息子は天ザルが好きで、娘は鴨南蛮、私はラーメン。

母は鰻。

ラーメンがね、絶滅危惧種の東京ラーメンやねん。

 

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花屋さんが空き地になっていた。

相続税で随分と土地を手放しておられたけど、まだ土地は残っているので引っ越されたのかな。
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足立区の軽井沢とマスコミが勝手に命名したヨコタファームさん。

おじさんが穴を掘っていると思っていたら木陰の足湯ができたり、レンガを積んでいると思ったら薪火で焼くピザ釜だったりの店でしたが、舎人ライナー開通後は客が増えて人気店になっています。

ゴールデンウィークには寝かせた園芸用の土を分けてくださるのでベランダ菜園の時は助かっていました。


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舎人公園駅から竹ノ塚方面を眺める。

この先に娘が住んでいたアパートがありました。

今は同居しています。

 

昔、娘を息子の嫁にと熱心な方がいて、大学生だからというと卒業まで待つとか凄く熱心で、娘が越した後も私に熱心に勧めてきたのですが、最後にお会いしてから一週間後ぐらいで突然亡くなられて、なんとなく申し訳ない気分にはなりました。