熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

足立区舎人への愛

嫌なことも悲しいこともありましたが、学生時代を過ごし子を生み育てた足立区が好きです。

 

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舎人公園駅で足立区のレンタサイクルを借りました。

係のおじさん親切でした。

電動でない自転車ですが、足立区は基本ほとんど平地なので気にせず行きます。
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ここはロケット公園。


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西伊興の早乙女勝元先生のご自宅です。

取材の仕方やメモの取り方、資料の調べ方は先生に教わりました。

先生の書籍ではNさんで登場している場合もあります。

私の亡母と同じ昭和七年生まれで、お母様は私の母方の祖母と同じ年生まれなので、年代の話題も親の年齢換算でわかりやすかったです。
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お元気です。

写真アップ許可を得ています。

初めてお会いした時は今の私ぐらいかな、健脚で山登りもされていました。

当時既に東京大空襲を記録する会の主要メンバー最期の一人でした。

東京都に空襲記念館ができる予定で資料管理をされておりました。
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鉄道の枕木で作った家。
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この先にうちの子らが遊んだ広い野原があり、ミカンの木も植えられていて鶏がいました。

我が子らは鶏と遊んだことは忘れているかな。

土地は空襲記念館を建てるために手放されて、今は建売住宅が並んでいます。

 

昭和四十年代に東京空襲を記録する会が成したことは講談社から全五巻の東京大空襲を手にとって頂きたいです。

今年初めに千駄木にあった古書店ほうろうさんで五千円ぐらいで売られていました。

安くなったなと。

 

浄財で編纂された東京大空襲の記録は当時アメリカで公開されていた公文書や天候の記録、空襲を体験した方々の投稿などからなり、投稿をその時いた地点ごとで纏めています。

重複する記述もあります。

 

編纂時の話を聞いて印象に残っているのを一つ。

 

火から逃れるために隅田川に飛び込んで自分だけが助かった少女。助けられたときに兄が大切にしていたカメラがどうなつたか気にします。

川からある少女を助けた男性は、少女がカメラはと呟いたこと手記に書きました。

その二通の投稿を読んだ編纂者が同一現場の二人ではないかと考えて双方に連絡をします。

二人は助けた男性と助けられた少女でした。

少女は「リンゴの唄」というヒット曲を得た歌手でした。

 

東京大空襲の編纂メンバーは超豪華。

皆さま手弁当で左右混じって、戦記雑誌丸の社長も協力をしてました。

政治的背景は知りませんが、財界人も庶民も戦争が起きたらどうなるかを後世に残そうと大変な作業を成し遂げ、予約も沢山入った所でオイルショックがきてインクと紙が値上がり印刷製本する予算が足りなくなった時に講談社が手を差し伸べました。

 

早乙女先生には左右が混じって編纂をしていた時代のことも書き残して欲しいです。

 


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アンネのバラ

手入れをされていた早乙女先生の奥様が亡くなられて十年。

ご一緒に映画に行ったりしてました。


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以前、足立区古千谷にあった手作りアクセサリーショップ、アンテナさんは舎人駅近くに移転しました。

ここの作品が好きな娘がモデルをしたこともあります。

宝塚の方がオリジナルアクセサリーを注文することもありました。

 

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昔からある肉屋さん、もしかしたら戦前?
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昔は森の中を走る道でした。
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足立区は土地が低いので舎人入谷地区の古くからの地主の家は盛土をした上に建っています。それでも足立区では海抜がある方なのがこの地域。

なのでかつては海辺の集落でした。

遺跡も多いです。

荒ぶれる毛長川の洪水も多かったおかげで肥沃な土地となっており、昭和三十年代には面積当たり石高日本一の土でした。

幕府の領地と寛永寺の領地であり、年貢は低くく抑えられており、豊かな村でした。
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猫。
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お世話になっていた病院。

大きな病院で肺炎として入退院を繰り返していた母を、王子の病院に紹介してくださり、そこで母が末期ガンであったことがわかりました。

 

ボケていて痛みをうまく表現できなかった母に緩和治療を受けさせることができました。

感謝しております。


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畑。
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我が子が通い、私が広報などの役員をしていた小学校。

遠くに見える鳥小屋には二十歳超えのコボちゃんというガチョウがいて、息子と娘がいきものがかりで世話をし、ママ友の第三子がいきものがかりの時に天寿を全うしました。

初代校長と二代目校長とは博物館時代に一緒に足立区史編纂の仕事をしていました。

 

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舎人のパン屋さんポピー。

子を産む前からありました。

東京都知事から賞を受けたパン屋さんですが、一日に作れる量には限界があり、特に食パンは予約でほとんど売れてしまいます。

電話予約できますので、予約してからレンタチャリできた。
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もう今日のパンは殆どありません。

パート帰りのお母さんたちが買って終わりでしょう。

お昼時はパートの昼休みのお母さんたちで混みます。

朝のパンと昼のパン、種類が違います。

朝は朝食用に向いているパンが並びます。

 

児童館で開催されてる幼児教室で運動会が開かれた時は、パン食い競走用のミニクリームパンを焼いてくださり、幼児たち大喜びでした。

あと当時は珍しかった桜餡を使ったアンパンや新しい事を取り入れる店長さんで、今日も私が知らない新作がありました。

 

 

特筆は食パン。

美味しいから。とにかく美味しいから。

 

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ポピーの隣はラーメン屋さんでしたが、建て替わってて民家となっていました。
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舎人団地。
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老人館にあった浴場の跡。

大きなお風呂でワイワイやったあとカラオケができる場でしたが、予算削減で無くなりました。

団地のお風呂はコンクリに風呂桶を直接置き、バランス釜で沸かすタイプでしたので、風呂桶に入るのが高齢者には大変でした。

それもあり、需要はあったので、当時の自治会長の入野さんが存続願いを出していたのですが叶わず。

 

あれから高齢化が進み独居高齢者も増えたのを思うと、残っていたらドロドロで発見される人も減ったかもと思います。
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舎人団地近辺初の食材屋さんだった入谷ストア。

肉屋八百屋魚屋がありました。

今は肉屋さんだけが残り、ここの焼き鳥は人気があります。
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30年前まで唯一のコンビ二だったヤマザキさん。

ご主人はパスコで修行されたパン職人でパイが得意でした。

突然亡くなられて奥様が守っておられます。

手作りのお弁当も人気があります。

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我が子が通っていた保育園。
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給水塔。


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この棟の下に公設市場と個人商店が入ってました。

公設市場とか買物難民対策に都が安く提供する商店街のようなものです。

舎人ストア、靴屋、板倉医院、文房具と駄菓子の店が入っていました。 

板倉先生は軍医さんだったので雑談が面白かったです。

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茶色マンションは元農地で、ここで採れるキュウリは絶品でした。
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かつては大賑わいだった舎人商店街。

ここにあったスーパライフは全国のライフの中で広さ当たりの売り上げ一位で、通りには買い物客の自転車が累々と並びました。
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洋装店とシャープの電気屋さんと居酒屋があった場所。

電気屋が最初に撤退して持ち帰り寿司屋ができ、結構美味しくて並びました。

後脚が足りない猫を飼っておられました。


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魚屋さん。

母はここの刺身じゃないと食べませんでした。


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肉屋さん。

端っこのポテトは安くて、これがお昼ご飯の子もいました。

これが大好きな娘のために買って帰りました。

ここのハンバーグはしっかりと肉です。

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酒屋さん。

昔は家に届けてくれていました。

高齢化が進み、各家庭の酒量も減り配達をやめて、今は商店街で買ったオカズで飲める場も提供しています。
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陶器屋さん、花屋さん、団子屋さんが並んでいた場所は貸店舗と鯛焼き屋さんと米屋さんと焼き鳥などの総菜屋さんが並び、少し離れてナショナルのパパママショップがあります。

この電気屋さん修理をしてくれるので、母はここで買っていました。
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ここにはケーキ屋兼パン屋さんがありました。

ケーキが神戸のケーキ屋さん並みに美味しかったのですが、ご主人が体調を崩されて閉店し、あとには服のリフォーム屋さんが入ってました。

その奥の布団屋さんには随分とお世話になっていました。

小学校の防空頭巾はここで買うものでしたが、少子化で今は扱ってないそうです。

向かいの豆腐屋さんはお元気です。

その隣の美容院は昔は子どもにアニメビデオを見せながらカットしてくれる店でした。

 

その隣には青鞜という布や刺繍糸などを扱う店があり、赤ちゃん用品を縫うための布とか買ってました。

青鞜はあの青鞜からきています。

 

その隣は毎日新聞の販売店

団地の少年サッカーに協力的な店でした。

その向かいにはミッキーというレコードと本屋さん。入り口にあったジャンケンポンのゲーム機も子が並んで遊んでいました。

商店街の懸賞もここが会場でした。

あとは歯医者さんや整体屋さんやお洒落な服屋さんがありました。
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ここにあった、ママ友が経営していた「どさん娘」のエビチリは、ハッキリ言って赤坂飯店より美味しかった。

赤坂飯店を接待に使ってましたが、どさん娘のエビエビしたエビチリが美味しかった。

残念ながら介護のために店をやめて、今彼女は大家さんです。


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地主さんが建てたアパートと貸店舗。

地主さんは持ち帰り寿司屋を経営してましたが、後からできた持ち帰り寿司屋が美味しすぎたので、貸店舗になりました。

その後は百均、生協系医療相談室、生体販売をしないペットショップで、そこで娘の愛猫のにゃふちゃんを貰いました。

捨て猫があると飼い主募集をしてくれる店で、店主さんも猫を飼っておられました。

そのペットショップも無くなっていた。

帰宅して娘に話したらショックを受けていました。

貰い手を選ぶ保護猫活動をしおられましたが、ネット上にあるような厳しい感じではなく、猫好きネットとアンテナを使っておられました。

ここで斡旋された保護猫は皆大事にされています。


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焼き芋が美味しい八百屋さんがあった所。
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コーセ化粧品と服と裁縫道具を売っていた店。


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都内でも珍しかった生パスタを出す喫茶店でした。

遠くから車で食べに来る人もいましたが、閉店しました。

閉店する時に分けて頂いたパフェの器は育児時代に大活躍をしてくれました。
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母が仲よかったクリーニング屋さん。
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床屋さんだったところ。

顔そりが安くて気持ちよかったです。

田園と森と泉と宿場町のある地域だった舎人入谷地域がバブル期に一気に宅地化していくなか、メダカを固有種だと言って保護をしていましたが、自然に返せる環境はまだ遠いのに閉店して売られていた。
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谷根千にはないほっともっと。
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蕎麦屋の田口屋さん。

舎人入谷地域の蕎麦屋は私にはしょっぱく。

ここのが一番好きです。

出前も迅速。

息子は天ザルが好きで、娘は鴨南蛮、私はラーメン。

母は鰻。

ラーメンがね、絶滅危惧種の東京ラーメンやねん。

 

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花屋さんが空き地になっていた。

相続税で随分と土地を手放しておられたけど、まだ土地は残っているので引っ越されたのかな。
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足立区の軽井沢とマスコミが勝手に命名したヨコタファームさん。

おじさんが穴を掘っていると思っていたら木陰の足湯ができたり、レンガを積んでいると思ったら薪火で焼くピザ釜だったりの店でしたが、舎人ライナー開通後は客が増えて人気店になっています。

ゴールデンウィークには寝かせた園芸用の土を分けてくださるのでベランダ菜園の時は助かっていました。


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舎人公園駅から竹ノ塚方面を眺める。

この先に娘が住んでいたアパートがありました。

今は同居しています。

 

昔、娘を息子の嫁にと熱心な方がいて、大学生だからというと卒業まで待つとか凄く熱心で、娘が越した後も私に熱心に勧めてきたのですが、最後にお会いしてから一週間後ぐらいで突然亡くなられて、なんとなく申し訳ない気分にはなりました。