熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 村上鉄太郎

猫が光合成をする季節。

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村上鉄太郎
没年月日:1973/08/24
分野:洋, 画家 (洋)
白日会会員、日本水彩画会会員、日展委嘱の洋画家村上鉄太郎は、8月24日、死去した。

享年73歳。村上鉄太郎は明治32年(1899)12月23日、東京に生まれ、太平洋美術学校に学んだ。

中沢弘光に師事し、白日会展に出品、昭和4年(1929)第6回白日会展に「鱒の静物」を出品して白日賞を受賞、その後静物の連作を出品、昭和7年に白日会会員に推挙された。

昭和39年(1964)第40回白日会展では「訪春」「雪どけの川」、で中沢賞を受賞した。

日展にも出品し、昭和26年第7回展「河岸」、同27年「晴れた日」、同28年「窓ぎわ」、同30年「山手雪景」、同32年「残雪」など連続入選して昭和42年日展委嘱にあげられた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(249頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「村上鉄太郎」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(249頁)
例)「村上鉄太郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9382.html(閲覧日 2023-12-24)

 

川口リリア3階、『残雪湯沢』

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村上鉄太郎で検索をしていて、映画に辿り着き、………

 

https://www.kinejun.com/cinema/view/21780

刺青一代/いれずみいちだい】

上映日 1965年11月13日

製作国 日本

制作年 1965
上映時間 50分

 

刺青一代」のストーリー
昭和初期、東京深川の木場で、一人の男が戸塚組の親分岩松を刺した。この白狐の刺青をした男、“白狐の鉄”と異名をとる大和田組のヤクザ渡世、村上鉄太郎であった。

鉄太郎は、堅気になることを条件に、大和田組組長の命令で岩松を刺したのだ。

その足で鉄は、美術学校行きたさに仏具屋に修業にいっている弟健次を訪ねた。

弟は留守であった。

帰途鉄は、大和田組の政吉に銃口をつきつけられ、あわやという時、帰ってきた健次がかけつけ、政吉の挙銃を奪い、政吉を射ち殺してしまった。

鉄はまだ堅気の弟に傷がつくのを恐れて、自首しようとする健次をともなって、満州へ逃げようとした。

そしてたどりついた、ある港町で知り合った男山野の紹介で、亜細亜丸の船長を知り、密航の手続きをした。だがこの船はドック入り寸前の船であった。山野らにだまされて金をまきあげられた鉄と健次は、途方にくれて路頭をさまよった。そんなある日、その土地の港湾業者木下組組長勇造の妹みどりが二人をみて同情し、木下組に入れてくれた。

二人は慣れない仕事ながら精一杯がん張りとおした。そんなうち健次は、みどりの姉で勇造の女房雅代を知り、しだいに恋心をよせるようになった。一方のみどりは、労務主任江崎の求愛をよそに、

いつしか鉄にひかれていった。そのころトンネル工事を木下組にもっていかれた赤松組では、何とかして木下組をつぶそうと、悪どいいやがらせで工事を妨害していた。

山野もこれに加わり、江崎もみどりに結婚をことわられた腹いせに木下組を裏切って勇造を狙った。

そんな時、警察からの手配書で、勇造は鉄と健次が前科者なのを知り、二人に組を出ることを命じた。二人は勇造の計らいで、満州へ渡るべく船に向った。ところが雅代を忘れられない健次は、最後の別れをと、雅代のもとに引返した。

が、そのころ雅代は赤塚組に連れ去られていた。そんなときに帰ってきた健次は、単身赤塚組になぐりこみ、逆に殺されてしまった。これを知った鉄は、燃える怒りを白刃にたくし、赤塚組に乗りこみ斬りまくった。鉄の働きで赤塚組は倒された。皆の感謝の眼を背に鉄は、みどりに別れを告げるのだった。