と、大暴走したくなるような文章を偶然知った。
市川よみうり
2015年4月版
『こんなところに㊙︎history(ヒストリー)』19話
中津攸子
一昨年私が現地で確認した勝海舟が熊谷伊助を偲んだ歌碑。
義父の熊谷登久平は伊助の弟の曾孫にあたり、実家の日野屋出身の勝海舟の友、熊谷伊助のことを誇りにし戦前に自分の画集に随筆を残した。
その随筆を読んだ私は勝海舟日記などに名が残る熊谷伊助が熊谷登久平の親戚だと知り感動して、登久平が書き残した歌碑を調べた。
そしたらさあ、歌碑の案内板に勝海舟がお手つきした女を偲んだ歌的なことになっていると知り、なんでそんな事になったんだよと慌てて調査を開始した。
したら市川市の文化人の中津攸子先生が過去に勝海舟の女の石碑と書籍に記してたりしてたんでビックリよ。
中津先生は台東区出身、市川市では文化人よ。
それぞれの文章、現場取材したかのように書いてけど、石碑きちんと見ておられない。
石碑には伊助の名前も出身地まで書いてあるじゃん。
この話しはないわ。切ないわ。
これじゃあhistoryじゃなくてfantasyではないだろうか。
熊谷伊助の遺族は今も生きてるのに失礼ではないだろうか。
市川よみうり、なんの疑問もなく歴史として掲載したんかい。聞き書きならまだしも、史実として載せてる。
市川市が設置した石碑の案内板の文面は去年やっと訂正してもらったけど、中津先生の本は国会図書館にも残るし市川市の図書館にあるし、訂正文を貼って欲しいぐらいだわ。
勝海舟と熊谷伊助と熊谷チカに失礼だわ。熊谷伊助とチカは夫婦ですよ。
勝海舟日記ぐらい調べてから書いて欲しかったよ。
勝海舟日記にチカは出ないけど「熊谷伊助」載ってるからね。
何回も出てくるし、伊助が死んだ時の記載もあるからね。
勝海舟が女に向けた歌碑が市川市に残っていたのならば、過去の勝海舟のドラマや小説にも取り上げられてるわ。
(T ^ T)
つかあっ、市川よみうりの編集校正入れないんかい。史実としての歴史読み物掲載するなら碑文確かめるぐらいはして欲しいわ。
まだ石碑の文章が読めるからね。
それとですね、「勝海舟に女性を偲んだ歌が素晴らしいから石碑にします許可をください」なんて連絡をしたら日記に残るって。
よき友は熊谷伊助のことで、その妻のことではないと私は思います。
元になった資料を提示して欲しい。
(T ^ T)
https://www.city.ichikawa.lg.jp/library/db/1043.html
https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1411000009.html