熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

私の中で結構大切な時間だったと気がつく

自粛の中、資料室や図書館に入れず疲れ気味な今日この頃。
最近の足の怠さと浮腫に、これは心臓の弁の問題だけではなく、週一回は上野の山の博物館や美術館を彷徨いていたお陰でマシだったのではないかと思い始めている。
東博と科博をまわるだけで結構歩くし、自分の体力に合わせて出ることも常設展の最後までまわることも出来る。
あれは私には良い時間だったと。
また友人と食事をして互いの子育てへの反省や、これからのことを話せるのも楽しかった。
主婦である私たちは普段家族の好みで料理をする。
好きなものは中々家庭内では食べられないし、自分が人の為に作る料理ではなく、人が自分の為に料理してくれたものを頂く外食の息抜きも楽しかった。

ママ友たちも長い育児と介護の時間から少しずつ解放されてきてて、諦めていたコンサートとか行こうねと話すことが出来る年齢が還暦近くだった。
旦那さんの機嫌次第なのだけは誰も逃げられないけど。

そういえば孫が走るようになったそうだ。
ヨチヨチ歩きの期間は本当に短くて、息子夫婦が育児経験のない夫に見せてあげたいと連絡をくれたのが3月の3連休前、東京はコロナが怖いから来るなと断ったのは正解だけど、1ヶ月せずにヨチヨチ歩き期間が終わった、次会える時にはしっかりとアンヨだろうな。

去年の今頃はゴールデンウィークの旅行の相談でワクワクしていた。
初孫との初お泊まり。
あれは幸せだったな。
孫が幸せにこれからも健やかであるよう祈るわ。


















婚外子として小学生の頃から家族の為に料理をして、父のお弁当を作って、高校になったらバイト代を家に入れながら夢の為に頑張って、頑張って新聞配達を2年して進学し、奨学金を実家の借金の為に渡して、それでも頑張って就職して弟を引き取り良い学校に入れて、投稿をして、友人たちが上がっていくのを見上げながらやっと賞をとり、子供を産んでから署名デビューをした。
あれこれ私なりには努力をしたし良い本も何冊かは出したと思うが母と父には金足らず、父の危篤時も取材に出てて間に合わず、痴呆症になった母をうまく介護できず介護離職と離婚を招き、空回りの人生だったと思う。

この数年が結構幸せで、美術館に趣味で行けるとか息子夫婦と旅行とか、今夫と再婚したおかげで諦めていた余暇を得ていた。

空回りは相変わらずしているけど。

コロナ、いつおさまるのだろう。
家族や大切な人たちが感染しないだろうかと不安になることもある。
岩手県が感染者ゼロで、それがこれからも続いてくれないかなと願っている。
去年お世話になった方々が結構高齢で、でも記憶がしっかりしていて母が呆けた私としては羨ましくもあり、大事にしてほしいと願っている。

母の自慢であった画家の叔父さんも長生きしてほしい。義父の友人であった画家さんと叔父さんが友人だったことにも驚きたけど、谷中の画壇の話を血縁から聞ける喜び。

私にやっと時間ができて話を聞くこともできるようになった。