熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

年末 #熊谷伊助 

バタバタしとります。
うちの雑煮は鶏肉、蒲鉾、ほうれん草、鰹節、いくら、糸三つ葉なんですが、近隣の八百屋さんではもう糸三つ葉が売ってなくて谷中銀座のスーパーのノナカさんで買えた。
出汁に使う鶏ガラは佐藤さんでは売り切れ。
ノルルが行方不明になっていたバタバタで上野桜木の鳥正さんで買い損ねた鴨や鳥関係。
明日、谷中銀座の佐藤さんが雑煮用の鶏肉をたくさん出してくれるのを信じる。
正月前は軟骨のベーコンも売られて、これを使って作るポトフが私は好きだ。


熊谷伊助の死、これは熊谷各家で旧水戸藩に殺されたと伝わっている。
熊谷伊助はペリー来日の際に井伊家にも出入りしていたという伝承もあり、つかそれらの伊助関係の資料書類は関東大震災前に横浜開港祝いだかの展覧会に貸し出して震災で焼けてしまったと伝わっている。

伝わっているだらけですが、どこかに残ってないだろうか。
片瀬江ノ島の熊谷伊助の直系の熊谷守美氏は旧水戸藩に呼び出されて毒をもられ帰りの籠の中で亡くなったと書き残している。
谷中の熊谷家の登久平も毒で死んだと聞いていたらしく昭和16年に書き残している。