熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

市川市

午前、義父の資料を読み直し、昭和20年代後半に市川市に行った記録を見つけた。

また義父の葬儀の参列者の中に熊谷伊助の孫かひ孫の名を見つけた。

 

残念ながら上野松坂屋で平成になっても一回百万円以上盆暮れに送っていたとかの義母が作成したという宛先名簿は見つからない。

見つかれば、伊助さんの子孫の住所がわかるかもしれないのに。

市川市の「勝海舟が伊助を偲んだ歌を刻んだ碑」がある寺に先日問い合わせた時、御住職の奥様は「勝海舟が好きだった奉公人の娘を思った歌」と思い込んでおられたから四十年ほど伊助の遺族は寺に行ってない事になる。

 

夫の記憶では義父、熊谷登久平は寺に定期的に通っていたようだが、現御住職夫妻は義父が亡くなったあとに寺に入られた。

義父が亡くなって五十年。

義父の葬儀参列者の中に伊助の子孫の名はある。

多分、その跡継ぎが伊助の遺品を横浜市に寄贈している。

 

http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/104/06.html

 

松坂屋で盆暮れの気持ちの品を選んでいたという義母、そのお陰でか熊谷家には大丸松坂屋の外商担当がつき、私は大丸松坂屋のお得意様用のゴールデンカードを相続者の妻として使えるのだけど。

送り先控えがないのは何故。

捨てられない女、熊谷房江。

残念ながら紙資料は殆ど箱に入れられ、どの箱にどれが入っているのか開けて全部見ないとわからない。

あるのかないのか分からない義父の資料を三年以上探している私。

義母が捨てられない女だったことに賭けるしかない。

 

 

そういえば私も捨てられない女だけど、今回の結婚前にだいぶ捨てた。そしたらその中の資料を必要とする人が現れ、まあ大変なう。

 

話しは逸れているが義父の記録を調べていて、上野松坂屋で谷中の画家の会の展覧会を戦後にやったのがわかった。

松坂屋は昔は社史関連の記録と整理が凄いと言われていたけど、戦後の展覧会資料は残っているのだろうか?

今もお得意様向けにゲゲゲっなどえりゃあ個人蔵作品の紹介がくるし、多分美術史に詳しい方がいらっしゃるような感覚なんだけど、問い合わせても良いのだろうか。

 

谷中界隈、上野の山は昔は成功した画家も多く住み、松坂屋での個展や会派の展覧会の記録が結構見つかる。

松坂屋に当時のパンフレットや図録が残っていたら私は嬉しいんだけどな。

 

午後、市川市岩手県の千厩図書館に寄贈したい本を買いに行ったら纏められたのが、都市文学を調べていた娘の先生だった偶然に驚いたり。

 

 

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