熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

上野に買い物に行くのは大変である。


上野に買い物に行くのは理研の会長宅があり、理研の役員や大会社役員の城下町で送迎の高級外車が列をなしたと言われている谷中清水町の坂を下るか、藝大前を通り抜けて上野公園の中を下るなどがあるけど、紅葉を楽しもうと思った私がバカだった。

観光客だらけである。

ママチャリで広小路の歩道を抜けようとしたら観光客から怒られる。
車道はスポーツタイプの自転車が暴走してて危ない。
自転車で通れるはずの路肩は一時停止の白タクだらけだ。
観光客の壁にげんなりしながら、御徒町駅前の吉池で買い物をして終わり。
成城石井上野駅店は諦めた。

通勤定期を持っている娘は日暮里駅から山手線で上野駅に行き買い物をしている。
カヌレが食べたかった。
バスで一本の錦糸町駅成城石井も混む。

カヌレが食べたい。


#ジブリ大博覧会展 内覧会に行ってきた。

義父の資料を持って岩手県立美術館に行ってきました。
泊まったホテルは #ホテルエース盛岡 名前はダサいですが旧市街的な場所にあり駅から徒歩10分ほど.かつては賑わっていたであろう商店街がシャッター閉じた売り物件だらけになっているのが残念でした。
空襲被害に遭っていないので、看板建築や戦前のカフェ的なハイカラな建造物があちこちにあり写真を撮りたかったのですが、私は寒さに弱い橋本病なのでざっと観て春になったら義父の第一回の個展をやった場所を歴史博物館に行って調べようと思ってます。
元気だったらデスが。

凍えてホテルに到着し、湯船に入り化粧を落として寝ました。
ベッドのマットレスが良かったです。
Free WiFiありましたが遅い。
コンセントも少なく、机も小さく、仕事を持ち込んのには向いてない寝て休むための部屋でした。
朝食はすごい種類のバイキングで岩手県名物もあり、名前を記録し忘れたけど、ヨーグルトが絶品。
岩手県のヨーグルトらしいけど小岩井牧場ではない。

チエックアウト後盛岡駅に向かい、駅からタクシーで岩手県立美術館に。
これ、国際的な規格クリアしてんじゃないかなと思える堅固な作りとバリアフリー
高台で地平線が見えるし、地球が丸いと感じられる。タクシー代は1500円ほどかかりました。
バスが一時間に一本あるのでそれを使えば200円。
帰路ぐるりと回るバスに乗りましたが、新興住宅地的な場所もありました。
で、今日は明日からの大ジブリ展の内覧会。
関係者とマスコミに先行公開される日です。ジブリ展としては過去最大レベルの展示会で数年かけて全国を回るうちに三倍に膨れ上がった展示であります。

開会式には全国大会で優勝した岩手県の小学生たちによる合唱。天使の歌声ですわ。
おばあちゃんな私は手を合わせてしまいました。

ジブリ大博覧会、良かったです。
ねこバスに乗れました。
ミーハーしましたよ。

心細さはありましたけど、友人が付いてきてくれたので助かりました。
文京区から盛岡まで付き合わせてしまったですよ。しかも自腹で。
彼女がナウシカ好きで良かった。
腐海の再現部屋すごいですよ。造形物が半端ない。
図録も今年の夏に加筆された版です。
バロスの缶バッチ買いました。
息子夫婦にはカオナシのシャモジを買った。
姑からシャモジ土産にもらったら奥さん嫌がらないかなとか思いつつ。
息子と娘がカオナシの真似をしていたのを懐かしく思い出し、母と娘が映画館で観て感動していたなあと。
母はジブリ作品が大好きで、私が仕事で招待券を頂くと娘といってもらってた。
あの頃は少しボケてはいたけれど、まだ映画を理解していたなあ。ハウルの動く城とか喜んでいたなあ。
キムタク好きだったし。

内覧の前に館長さんと担当学芸員さんに挨拶をして、内覧後に学芸員さんにうちにある資料を渡しました。
コピー後に送り返してもらえます。
資料のオリジナルは足立区立郷土博物館にありますが、もう手に入らない、谷中の家が空襲で焼けなかったから残っている戦前の新聞記事そのものもあり、数カ所でコピーを持っておいてもらえれば安心かなと。





常設展示には震災被害で痛んだ美術品の修復を終えた作品が展示されていました。
この美術品だけで8年の月日が必要だったわけで、しかもノウハウのある油絵やらあれこれ、川崎ミュージアムにある収蔵品はどうなるんだろうと少し泣けました。














































明日、岩手の盛岡に行く。

冷えが大敵な身体なので周りから岩手は寒いと言われてドキドキしている。
盛岡駅まで行くのは国鉄がJRとなり、その中のJR東日本がEキップという管内乗り降り自由で一万円という神キップを出した時以来だ。
あー娘の大学受験の小論文向けに私の親友が車を出してくれて宮沢賢治所縁の地や施設の殆どを周ってくれたから盛岡市にももちろん入っているけど、駅はJR東日本がE電と名乗っていた時期以来で、当時は盛岡が東北新幹線の終点で、埼玉県大宮駅が始発だった。
東北新幹線開通式でテープカットをした女性アイドルグループのパンジーの皆さまお元気かしら。

今回は義父、熊谷登久平が最初の個展を開いたのが盛岡らしいので建物を探してみるつもりでもある。

最後の写真が岩手での初個展らしい。





ホッとする。

https://fujimizaka.wordpress.com/2013/08/21/hasegawa_toshiyuki_1_first/

こちらの池本さんには物凄くお世話になりましたし助かりました。池本さんが長谷川利行関係者に積み上げていた信用をお借りして、熊谷登久平が大切にしていた宝物が本物と認められた。


ある時期から問い合わされても、出さなくしていた長谷川利行のスケッチブック、無事に私の古巣の足立区立郷土博物館預かりとなった。
古巣に美学を専攻した若い学芸員がいるのは助かる。
私の上司だった学芸員が定年まで数年、その先の正規職員がいるのはありがたい。
学芸員が定年退職をしたら研究が途絶えるのは残念ながらあるので若い人が手をつけてくれたのは良い。
慣例的に合同研究になるとベテランが筆頭になるが、若い彼が少し欲をもってくれたら良いなと私は思っている。
研究が評価されたら予算もつきやすい。
今は学芸員の良い雇用が減っている。予算がついて彼が研究できるようになると良いなと願う。
今は学芸員が昔私のような非常勤調査員がやっていたような広域の仕事までやっていて、変だと思う。悪い言葉だけど、専門馬鹿に大学教授ですらなれない時代って変だと思う。

長谷川利行のスケッチブック、熊谷登久平の家から出たのなら本物だと画廊さんからも話を頂いたけど、個人蔵にするものではなく、公共のものとして公開されるべきだと思ってる。
登久平が青春の思い出として大切にしまっていたものだし、私は夫から渡された時に感動した。
その感動を誰かと共有したいし分け合いたいと思った。
台東区で寄付を受け付けないと言われてから長谷川利行を扱っている美術関係のゆかりの場所などに随分とメールをしたり、折り返しての電話を待ち続けたり。
平成が終わるとなってから焦って、このブログ立ち上げた。

色々あって長谷川利行のスケッチブック単体だけ欲しがるところも出てきたけど、私は熊谷登久平が大切に持っていたことも記録として残してくれることなどもお願いできるところを探した。
美術史の1ページに谷中を含む上野の山周辺にあったモンパルナスの記録を学術として国会図書館におさめてくれる人がいるところ。

とかもたもたしているうちにスケッチブックがいたんだので美術史の研究職がいる古巣へ。
ただ足立区なので長谷川利行の北千住の絵が何処かにあるけど、ガシっとやるのは難しい。
でも私が調べて収集したものも常設展示されているし、私の名もついでに展示されているから熊谷登久平の息子の嫁という力技でとか、うん難しい。
難しいけど足立区立郷土博物館の収蔵庫は戦争と洪水を経験した古庄区長の肝いりだから、見た目とか税金の無駄とか色々言われたけど、土建には本当に強い方だったので安心感がある。
洪水になったら逃げ場がない足立区だから自然堤防や盛り土をいかして建てていたし、税金の無駄とか言われているけど。

いつかは台東区で浅草や上野の山で青春していた長谷川利行と仲間たちって感じで展示される日がきたら良いな。
私、十代の頃、先生から上野の山の画学生たちの話を聞いて憧れていたのよ。
先生の資料も阪神淡路大震災で消えたけど。
。゚(゚´Д`゚)゚。


台東区には溢れるほどの史料がある。
文明開化や江戸や幕末維新に戊辰戦争上野戦争とか明治のインフラ整備に都市計画や洪水の記録に治水計画から万博も日本初の地下鉄にモノレール、落語発祥やら日本美術院とか東大の元に柔道の元祖とか。
本当に教科書の歴史がゴロンゴロンしていている台東区
それらの資料研究で手一杯なのだと思いたい。

#清浄歓喜団 は旨し。

京都は昔はよく行った。
古本屋も適度にあり、情緒があり、うまい店も多く、観光と取材と同人活動には良い場所だったが、5年ぐらい前に晴明神社にお水を頂きに行ったら並んでてびっくりした。
嵐山に住む先輩は混んでると言う。
ので、去年神戸に行った時も寄らなかったけど、清浄歓喜団を食べられないのが残念で。

そしたら今日お土産で頂いたので歓喜の踊りをまったり。
私にはとても美味しい。
平知盛も食べたのかもと思うと悶絶するほど美味しい。








#なかよし展 に行ってきた。

坂を下って登って左にある弥生美術館でやっているなかよし展に行ってきた。
ララ展の森川久美さんよりはキャンディキャンディの展示があった。
ってもふろ付録や表紙だけどね。
懐かしゅうございました。
あさぎり夕先生の生原稿をみて亡くなられたんだなあと。
弥生美術館に行くと私は必ず東大医学部の慰霊碑まで足を延ばす。
本来は東大構内にあるべき碑だけど東大側が拒否し、弥生美術館の館長が場所を用意した。
知り合いに駆逐艦の蓮の軍医さんがいたけど、彼も動員された人だった。大湊の大空襲をなんとか乗り切った蓮だから若い軍医さんは大変だったろう。


今日は熊谷登久平の命日なので、川端康成も好んだ
#喜久月 の青梅と銀杏を仏壇に供えてからいただいた。
http://home.s07.itscom.net/kikuduki/


http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/