熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

目が痒い

今日は風はおさまっているけど、目が痒い。

私の油絵の先生は残念ながら私が高一の時に癌で亡くなられてしまった。進行が早い癌だったなと今は思う。

雑談が凄く面白かった。それが結構私の宝物かもしれない。

山陽本線で明石から姫路に向かう途中に伊保山の垂直に切り立った石切場採石場のがあり、その手前の山の中腹に先生のアトリエがあった。

海と山の間の高台。

まだ描きたいものがあっただろう。

先生が描かれた伊保山の採石場は大作で立派な作品だったが阪神淡路大震災で建物ごと失われてしまった。あの絵があった場所を電車で見かけると喪失感が大きい。

 

田中祐一先生は熊谷登久平より9歳下だから、上野の山の画家たちのことを語ったのも今だからわかる。

空襲被害を免れた先生の美術雑誌などの膨大なコレクションも震災で失われてしまったが、それらを好きに読ませてくださったことも感謝している。

 

先生が師事した辻永(つじ ひさし)が創立メンバーであった白日会に今私が関わったのも不思議な縁だ。

 

 

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