熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

あまり動けない

低気圧のせいなのか。

痛み止めでなんとかなるが、頭痛が酷い。

夫が坂の下の甘味の老舗の芋甚で昭和焼(大判焼き今川焼き、御座候)と、アイスモナカを買ってきてくれた。バナナと。

今年に入ってから結構飲んでいる痛み止めで荒れた胃にアイスのヒンヤリが気持ち良い。旨し。

 

芋甚は義母と義父の熊谷登久平が一緒に食べに行っていた店だそうだ。義母が好きなのは餡蜜。

私はクリーム餡蜜が好きだ。

 

データバンクによると、芋甚の創業年月1914年6月、大正3年の6月、あっ第一世界大戦へのきっかけと言われているサラエボ事件の時じゃん。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(1914年6月28日11時30分頃、ボスニアの首都サラエヴォにてオーストリア=ハンガリー皇太子夫妻がセルビア人学生に暗殺された。)

第一世界大戦後の日本は景気が良くて、戦場となったヨーロッパは疲弊していて円高で、それで日本の中産階級の子弟は渡航がしやすくなった。

ので、画学生たちも次々と渡航した。

 

大正末期、今度は復興景気にわく東京、熊谷登久平が住んでいた根津の洋食屋の北州亭の裏の下宿から芋甚は近い。長谷川利行と義父が出会った矢野文夫の下宿も近い。

その頃は皆で芋甚(初期は芋を扱っていたので芋甚)の大学芋(か焼芋か)を食べていたのだろうか。

 

 

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