寝苦しさ、取れない疲れ、朝の体調の悪さの原因の一つが睡眠時無呼吸症候群の結構悪いだとわかってきた今日この頃、夢に朝倉文夫の装甲車が出て綺麗な夜空を颯爽と走っていった。乗りたくて追っかけたけど追いつかない。でも素敵だった。
久しぶりに素敵な夢を見れた。良かった。
昨日は台風の影響で土砂降りだったので会うのを中止した近所の奥さんと電話で朝倉文夫とその娘たちや弟子の話しをしていたから夢に出たのかな。
流石に近所の奥さん相手に装甲車の話題は出せなかったが……。
引かれたら悲しいし。
義父の熊谷登久平もお付き合いがあったそうだが、義父は朝倉文夫のアトリエがある隣町の谷中初音町に10年ほど住んでいたからその縁もあるだろう。
朝倉文夫は物凄い彫刻家。(私語彙力ないです)
で、私、朝倉文夫の猫の彫刻とか大好きだけど、実はネット上で『朝倉文夫 日本軍ヴィッカースクロスレイ装甲車』と呼ばれている作品も好きだ。大好きだ。
(正直言ってこれがヴィッカースクロスレイ装甲車なのか? 特徴が違う。
本作品を収蔵している福島県立美術館と大分県の朝倉文夫記念館では『装甲自動車』と記述している。私的には装甲軌陸車(きりくしゃ)かなぁ)
朝倉文夫の装甲車は、昭和6年に満州事変記念品として南満州鉄道の発注で制作され2万個が製造され配られたとの話しもある。朝倉彫塑館にも問い合わせたが、詳細はわからない。
満州事変と南満州鉄道とか、日本が泥沼にはまっていく歴史的経緯と物が物なので賛否両論あろうけど私は本作が好きだ。
このとぼけたフォルム好きだ。
余裕があれば欲しいし、今池之端画廊さんと計画している上野の山の芸術家たち展(仮称)に展示したいぐらい好きだ。
満州事変、昭和6年、その時代の空気にも触れられるゾクゾク感。
変態的かもだけど、私はそういうモノの背景を調べるのがずっと好きだ。
2万?制作という数のおかげでか、私は高校生時代、高一の時に同窓生の家で見せてもらった。
その時からこの作品に片想いをしている。
あー、当時大好きだった松本零士先生の漫画の『銀河鉄道999』もあったからかなぁ。
本当に一目惚れだった。
後に朝倉文夫の他の作品を見る機会もあり、光風会の先生が本を貸してくださったりもしたけど、この作品のデフォルメ感はファンタジックで朝倉文夫には珍しいとも思う。
あぁ、現物を死ぬ前にお茶席の茶碗のようにガン見したい、手で回して、いや撫でたい。
わかってくれる人と一緒に撫で回したい。
りっ、量産品だし、手に入ることがあったら撫で回してもいいよね。
しかもこの作品は朝倉彫塑館に収蔵されていない。(確認済)
先にも書いたが本作品は福島県立美術館と大分県の朝倉文夫記念館に『装甲自動車』として収蔵させれている。
はい、私、薄いミリタリオタクで、二次元コンプレックスの変態です。
朝倉文夫の装甲車は三次元だけどね。
鉄オタの夫に、この思いを熱く語ったところ、銀河鉄道の装甲車に乗られて死なれるよりは手元にある方が安心できると言われた。
いいの?
https://x.com/roketdan3/status/1699938778717307004?s=12&t=q2XPXKYNUjeBawBGuO16BQ
◎昭和6年製
◎南満州鉄道株式会社
◎満州事変記念
◎日本軍ヴィッカースクロスレイ装甲車(熊谷的には違う)
◎91式広軌牽引車
◎素材 ブロンズ 銅 青銅
◎製造元 大阪生駒謹製
◎重量 2kg
◎製造個数 2万個
およそ94年前に製造された物で当時の軍人の幹部や国や鉄道会社の重役などに満州事変記念品として贈られた。
以上は出品者さんの説明文から。
大阪生駒は今もある大阪の生駒時計店だと思われる。生駒時計へのリンク。
https://www.ikoma.ne.jp/watchmaker/
以下はヴィッカースクロスレイ装甲車のWikiへのリンク
『九一式広軌牽引車(きゅういちしきこうきけんいんしゃ)とは、大日本帝国陸軍が1931年(昭和6年)に採用した鉄道部隊用の装輪装甲車である。タイヤによる路上走行だけでなく、鉄輪に交換する事で線路上を走行可能であるという特徴を持っていた。』
装甲車と名乗っているけど装甲は薄いです。
http://www3.plala.or.jp/takihome/mixi/diary/1763941/976046.html
↓福島県立美術館の収蔵品
この作品、ネットで検索をするとかなり怪しいサイトに辿り着く。
ヤフオクなどの写真を使っているので注意が必要。てか、熊谷登久平の落札し損ねた作品も怪しいサイトがある。やめて( ; ; )。
↓ヤフオクで落札済みのリンク
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q1077914628
↓ネットで見つけた箱入りの状態
↓ヤフオクで売られていた写真。