熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

薔薇 熊谷登久平 1968年6月発行 社会保険 表紙のことば

船橋の息子夫婦宅に泊まり、孫といちご狩りに行ってきた。

船橋にはロードサイド型の店舗がたくさんあり谷中近辺にはないチェーン店の「とんでん」で、桜を練り込んだとかいう桜そばと桜のアイスクリームを食した。

 

桜のアイスクリームはキッチンカーの大学堂のが好きだったなあ。営業をやめてしまわれたのが悲しい。

 

 

 

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(表紙のことば)
熊谷 登久平
薔 薇
薔薇は、絵かきがだれも写す花だが、そのままの薔薇は写せても、絵としての薔薇は、その花からそのままに写すことは、よほどの技量がないと、かけないもの。
私も、花瓶にさしてある花、薔薇園の薔薇、あるいは人の家の庭の薔薇、何枚、何十枚写生してきたかわからない。しかし、それを写しとっただけでは、薔薇がもつ気品、高貴さ、高邁さ、そういうものが表現できないのだ。

街の画廊などに飾られてある薔薇の絵は、薔薇そのままを写しているだけで、今いったような薔薇の品格は写しとられていないから、見る目をもつ人には、高貴な感情を考えさせない。

花屋の花でさえ、薔薇の花が一つ一つそろいすぎていて、花としては美しいかも知れないが、絵にはならない。

私は、埼玉で養豚業を営んでいる人から、春夏秋冬その薔薇の花をもってきていただいては、枯れるのを惜しみながらかきつづけるのだ。

 

[付記]

春の陽射しが痛いほどまぶしい日、日大病院五六五号室を訪れた。

熊谷画伯に面会するためだ。

大手術後の熊谷画伯は、ベッドに横たわったまま、しかし、好き詩を読んだり、細くなった腕で二冊目のスケッチブックを描いたりしていた。「先生のことばがないと寂しいですね」

「よし、それじゃぼくが口でいうから書いてくれ」というわけで、 画伯のされたそのままのことばが今月の「表紙のことば」となったのである。

 

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↓大平元首相が買い求めた熊谷登久平の薔薇。

奥様が親戚だったとかで交流があった。
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↓次男の寿郎が従兄の英三さんの奥様の充子さんに贈った薔薇の絵。

早生された英三さんの遺志を守って登久平の絵を大事にしてくださっていることへの感謝として。
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