熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

櫻櫻上野公園

梶井基次郎の有名な散文詩、櫻の樹の下には


 櫻の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。櫻の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

ー以下略ー

上野公園の花見の宴の自粛を都が要請している。
でも櫻の樹の下ではないが、外国人観光客が宴会を開いていた。
暗い人目の少ない場所で楽しそうだった。
それは東京大空襲関東大震災の慰霊碑がある場所の非常時用井戸の上で、非常時には避難民が自主管理するかもな場所であまり知られていない。



上野公園は関東大震災東京大空襲などの被害者たちが逃げ込んだり避難生活をした場所でもあり、関東大震災の時は余りにも人が集まったので衛生状態が悪くなり、感染症がとても流行った場所でもある。
コロナウイルスがでちょっとパンデミック気分な日本、ううん世界。
それでも関せず楽しむのは良いことかもしれない。
彼らはとても楽しそうだった。多分太平洋戦争時の戦勝国的な感じの人たちだった。
彼らの母国にも平和があり続けますように、千羽鶴に祈った。

人は死ぬ。

震災も戦争も感染症も人が死ぬ。
死ぬとモノを言わぬ遺体となる。放置すると衛生上悪い。埋めないと。
しかし、焼け跡には今後の都市計画もあるので遺体を埋められない。
焼場は順番待ちで薪や油を持っていかないと使えない。
あちこちに転がる遺体。

それで、上野公園などに特徴を書いてから仮埋葬された。

上野公園の桜は美しい。
そりゃ美しい。

戦争中、上野公園の噴水広場に高射砲陣地があったのはもう忘れられている。
東京大空襲で上野公園に逃げ込んだ人はその時は助かった。
高射砲陣地の兵たちも彼らが立ち入り禁止区域に入るのを黙認したという。
彼らは被災者への炊き出しもしたと聞いている。

私が世話になっていた長澤のりさんは燃える本郷から後楽園球場に逃げ込んだ。
後楽園球場にも高射砲陣地があった、そこも避難民を黙認した。

日本橋区の浜町公園、ここも関東大震災の時に多くの人々が奇跡的に助かった場所だ。
都は火除け地として震災後に整備をしたし、多くの人が助かったことは石碑に刻まれていた。
空襲時に浜町公園にも多くの人が殺到した。
浜町公園にも高射砲陣地ができていた、ここの将兵は避難民を入れなかった。
炎から逃れてきた人たちは燃えない造りの明治座に逃げ込むしかなかった。
地下、一階二階と次々と人が密集した。

火が明治座に迫ってきた。最新鋭の防火シャッターを下そうとしたが、(電気だったかなんだったか聞き取りをしたのは浜町で働いていた20代前半のことで。
資料調べたのも20代で忘れてしまったし図書館今休館してるので申し訳ない。)

つまりシャッターは完全に閉まらなくだっけか、明治座の中に火が入り、人は可燃物なので火は広がり、脱出もできない。

明治座に入れなかった女性が浜町にいらした。
火が広がっていく明治座の中から炎の音よりも大きく君が代が流れたと聞いた。
確かその後読んだ東京大空襲を記録する会の書籍でも読んだが、証拠はない。
ただ、関東大震災の時に奇跡的に助かった場所は、空襲では沢山亡くなった場所となった。

名を忘れてしまったが、深川で焼け出された画家がいた。
少年だった。
関東大震災で多くの人が助かったという清澄庭園に逃げ込んで助かった。
池の中にいた。

しかし関東大震災で多くの人を救い、幕府が津波の時の避難場所にしていたという深川八幡宮に逃げ込んだ幼馴染たちは焼死した。

関東大震災の知識で逃げて助かった人、亡くなった人。

沢山の話を聞いてきて私は追い続けるのに心削れてそっと逃げた。
若かった。

みんな大好き小学校の怖い噂。
ここはお墓だったんだよ。

そう、下町の小学校によっては校庭も仮埋葬場所だった。
小学校の桜も美しく咲く。

鉄筋コンクリートの校舎の殻は焼け残る。
中に沢山いた避難民も他の可燃物と共に焼けた。人は可燃物だから。
炎がおさまり建物が冷えた頃に入った人々は白洲のような白いジャリを踏んだ。
それは人骨だった。
建物は残った。
校舎は内装リフォームされ、多くは高度成長期まで使われた学校もある。
人が燃えた黒い染みは塗料を重ねても浮かび上がったと聞いた。

小学校の桜も美しい、都会の学校の桜は美しい。
昭和40年代だったか50年代だったか下町の小学校の校庭から人骨が見つかった。
見つけた人が仮埋葬の場と知っていたから人骨とわかった。

今日上野公園で外国人観光客が宴会をしていた。
楽しそうだった。