熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

喘息持ちには辛い季節です

明け方に大きな発作を起こしたけど、メプチンエアのおかげでヒューの音は落ち着いてます。
が寝ている時の発作だったので心臓に負担がかかったのか胸も結構痛くなりついでに背中も痛くなり、楽しみにしていた谷中で #のひるねこbooksさんの猫絵の展示会行けません。

谷中のマルグリートの焼き立てのマドレーヌは週末のみ80円というお得なお値段なのに買いに行けない。
口が肥えてる大手社長令嬢かつ大層な旗本の血を引く友人も大好き。

そういえば彼女の先祖は上野戦争の時に脱出に成功して、北上せず時代の流れに乗ったので助かりました。

他にも旗本の某家の知人がおりましたが、そこのご先祖は戊辰戦争後に今の足立区まで逃げて匿われ、そのまま北上して色々。明治政府が盤石になったと思われた頃に東大の学長になっていた元逆臣の某氏に職を斡旋されて職人になり足立で落ち着きました。

他にも足立区の橋の下に隠れていて助かり農家に婿入りしたとか40年前は結構足立区周辺でも幕末の話が残っていましたよ。
あ、和宮の御降嫁の時に足立区古千谷などの農民も中山道の整備に駆り出されて大変だったとか使った費用の古文書を持っている家もありました。
足立区の焦げ付いた費用の私的に一番凄いと思っているのは綾瀬の旧家の新撰組関連の焦げ付き証文ですね。
また足立区郷土博物館で企画展しないかしら。

焦げ付き証文といえば、何度か書きましたけど義父の熊谷登久平が新橋にお屋敷があった仙台の伊達家に貸したやつですね。

義父も新橋の事務所にいることが多かったのと、伊達藩の千厩の豪商で、江戸時代は伊達藩の財布とまで言われた地域の人だから渡したんだろうなと、思う。

それと中国人にかなりの金を貸しててそれにまで相続税がかかって義母が少しでも良いから返して欲しいと嘆願している内容証明の写しが悲しいというか、それで下北沢の駅前の土地を二束三文で手放して現金化をし相続税を納めたという。

その土地の資料を見つけたときは驚いたわ。
義父は自分名義になっていた千厩の資産を弟に亡くなる寸前に譲渡したけど、その時に金を払えと相場を言ったとか。
戦中に千厩に疎開させていたはずの物の多くが行方不明になり、それを隠したのは弟だと思い込んでいて、その時の理不尽な思いをぶつけたらしい。
しかし、千厩の本家にある絵の多くは義父の死後に義母が送ったもの。
義父が死ぬまで気にしていたという疎開させた作品の多くは今も行方不明だ。

そして、たまにヤフオクに義父の作品が出るが連作をバラすのはやめて欲しい。
。゚(゚´Д`゚)゚。

義父といえば、中身を確認できないまま義父が熊本の人吉に滞在した時の資料になるかもと樋口一葉さんと野口さんと交換で福岡の古書店から取り寄せた本。
義父の項目まであったので私的にはとても嬉しい。
お弟子さんの叔父さん宅にしばらくいたと、厚生省の絵画会であったバリベア会の記録で読んではいたが、今回の本には泊まっていた旅館兼料亭の名前もしっかりとわかった。