熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

#文京区の地域柄に相応しくない 本文ママ

オープンハウスの営業行為が「文京区の地域柄に相応しくない」と発言されている方がいて、相応しいってなんだろう。少し怖いと思った。

 

文京区は東京の中心区の一つで、区立小学校にも名門がある。お受験率も高いとの噂もある。

少し高台に行けば大きなお屋敷があり、庭も立派だ。維持できる層はすごいと思う。

国立の小学校も複数あるのかな?

 

私学のお受験に失敗した富裕層は文京区や中央区の名門区立小学校に子を入れるらしい。

あ、港区の南青山も子の教育のために数億円の家を買って引っ越してくる人がいるんだった。

 

私の知り合いの官僚系の子は永田の公立小学校が多かった。官舎があるから。今はない。

神戸の大蔵省の官舎があったあたりも高級住宅街だった。

 

その文京区の千駄木にオープンハウスのマンションが出来たらしく、商店街の理事さんが広告の仕方にお怒りだ。

オープンハウスのマンションなら谷中三丁目にもできたが、私的には安くないのに結構早く売れていた。

 

千駄木のマンションが商店街で問題視されるほどの広告行為を連日行なっているなら、売れにくくなっているのかしら。

 

ただ、今の地価だと千駄木に広い敷地の戸建てを買うのは難しかろう。

不動産関係者の記事は資産価値のある区として文京区もあげているのもある。

マンションにはマンションの利便もある。

住みたい層に買える値段なら良いと思う。

 

話を戻すが、文京区にの地域柄は相応しくない発言に対して、私は怖いなと思った。 

 

と、正直に書いたら谷中のマンション反対運動を例えに出され反論された。

なぜ谷中のマンションの例を取って私に反論するのか?

谷中の町内会が台東区の地域柄に相応しくないとか言って運動したのかしら?

 

町内会役員の夫に聞くと、マンションは発表された段階で反対の署名運動とネットによる拡散をしたそうだ。

ヒマラヤ杉の時も署名したそうだ。

 

上野桜木のマンションの時も反対はあったそうだが、建った。

建った今では氏子として神輿も持っている。氏神様の祭りの時に活躍されている。

 

かつて高級住宅街だった上野桜木だが、戦後の財産税や相続税で手放されたり、古い屋敷だと維持が大変で立て替えたりもある。

今私は古い家に住んでいるが維持費はかかる。公示価格が高いので固定資産税もそれなりにかかる。

土地は残っても人は入れ替わる。

そういうものだ。

 

 

千駄木商店街はオープンハウスがマンションを建てると発表した時に何かの行動を起こしたのだろうか?

オープンハウスの立看板とサンドイッチマンはテレビコマーシャルで有名になった頃から見かけるようになったし、ある程度の敷地がある家には売ってくれと営業もくる。

マンションが建つ時に告知はあった筈だし、なぜ建築が進み看板広告が目立つようになってから、文京区に相応しくないと言いだしたのかが、素人の私には不思議だ。

発言はかなり強気で行政指導を求めるような事を書いている。

現場の担当にも強く注意をしたらしい。 

文京区を愛するが故だろう。

 

谷中銀座に超お洒落な店を作られた人かな?

 

私は台東区も足立区も好きだし、東京の文化集中も享受している。

谷中は趣味の博物館めぐりや旅行にも便利だ。画廊もアーティストの店も多い。

有名な都立庭園も自転車で行ける。

 

 

谷中は昭和40年代に長野出身で中央区の寿司屋で修行され、三崎坂で開業された方が、早くから景観運動や防災に氏子会に入ってなくても楽しめる祭りを展開してきた。

そのお寿司屋さん、昔は出前もしてらして、うちも頼んでいたそうだが、残念ながら今は行列店で私は毎年開催される菊まつりで、そのお寿司屋さんが出す菊のお稲荷さんを楽しみにしている。

夫たち谷中小学校卒業組もお寿司屋さんを尊敬している。

 

私が毎年楽しみにしている幽霊画の展示会もお寿司屋さんが動かれて始まったそうだ。

菊人形もお寿司屋さん自ら仕立てておられる。

 

そういう話を夫から聞く。

 

先人たちのお陰で私の好きな谷中がある。

 

あと、谷中で問題が起きた時に台東区に相応しくないとかはなかったんじゃないかな。谷中は谷中だもの。

 

天王寺さんでは富くじ瑞輪寺では相撲興行、寺町茶屋、大名屋敷も谷中にはあったけど、浮世絵に描かれるような町民向けの興行や谷中七福神もあり、包容力が高かったのかも知れない。

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アプリ 大江戸今昔めぐり で見る千駄木あたり。

https://www.edomap.jp/

 

大江戸今昔めぐり は本当に楽しいアプリです。

当時の町民が如何に狭い土地に住んでいたかもわかります。 

下級武士の家は名前付きで読み取れますが、敷地が狭いです。

水害のハザードマップと見比べれば、低地に比較的広い武家屋敷は建ってないのが読み取れます。

 

上野戦争の記録で遺体が水に浸かりの地域も昭和後半まで、水害があった地域で、東京都が貯水池を地下に作ってから水害がないなども頭に置いて見ると幕府の冷徹さが読めます。

 

江戸時代賛歌をする人も居るが、暮らしやすいのはある程度の身分を持つか、金を稼ぎ、少し高台にシモタヤを建てられた商店の御隠居さんがいる家でありましょう。

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みかどパン屋さん、ここは地上げの舞台となり、反対運動が巻き起こりました。
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伊藤園さんの茶会。

伊藤園は上野の歴史ある茶の店でしたが時代に取り残され、商社に屋号を売りました。

その時がっかりされた方もいたそうですが、今では社員さんたちが上野公園で茶会を開いてくれてます。

裏千家さんが上野の万博の時に、外国の方にも楽しんで頂けるようにはじめた形の再現です。
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地上げで切られそうだった谷中のヒマラヤ杉。