東京航空計器の社章が入ったアルバム。
熊谷登久平は戦争画を描きたくなくて、昭和十七年にコネで東京航空計器に入社し、さくさくと副社長になった。
一応実力があったらしくトントン拍子に出世しているんだけど、一応中央大学で経済学やって、豪商の父から帝王学を学ばされていたとか聞いてもピンとこないので資料を探してます。
熊谷登久平、中央大学では応援団の団長をやるバンカラだったそうで、講道館で四段だったとかの新聞社の偉い人の記述で見かけましたが、一次資料がないので目眩がします。
中央大学に資料ないかと電話したのですが、応援団関係の資料はプライバシーの問題があってダメだそうです。
教育委員長の証明書を持って歩いていた時代や記者の肩書きがあった時代が懐かしいですわ。
本当に主婦って信用がないのね。
一次資料を読みたいです。
義兄の久。
伝説の地域雑誌谷根千。
夫たちの事が書かれているページ。