熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

活かせる場所へ

 

夫が中学高校時代の仲間と制作したセルアニメ「宇宙戦艦ムサシ」のフイルムを非営利法人のアーカイブ機構の研究者さんに渡した。

譲渡手続きはこれから。

宇宙戦艦ヤマトが巻き起こしたアニメブーム、全国の少年少女たちがセル画によるアニメションを自主制作をした。

今有名なのは大阪で開催されたSF大会のアニメションで私が属していた京都の吾妻ひでおファンクラブのメンバーも手伝った。

これは今も伝説となっており、上映されることもある。そのメインスタッフがのちにエヴァンゲリオンを制作した。

夫たちが制作した宇宙戦艦ムサシのメンバーに増尾昭一さんがいた。のちに増尾さんもエヴァンゲリオンのスタッフになる。

夫たちは仲間で出世した増尾さんにとっては黒歴史である高校時代に制作した宇宙戦艦ムサシをデジタル化して、還暦になったら増尾さんにサプライズをするつもりだったが、残念ながら還暦前に57歳で彼は亡くなられた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E5%B0%BE%E6%98%AD%E4%B8%80

 

いつか宇宙戦艦ヤマトを制作したいと、イツカヤッランと名乗っていた彼は、ヤマトには参加できたが、次にやりたいと語っていたマイティジャックは叶わないで亡くなられた。

 

夫たちのサプライズ企画も夢と消えてフイルムが残った。

あのアニメブームの熱狂時代のカケラであるフイルムを活かせる場はないかと、オタクの担当であるJUNEの元編集長の佐川さんにも相談して、今回お渡しした場所が一番良いだろうと。

 

で、コロナ禍で話しはできたがなかなか受け渡しができないまま今日やっと渡せた。

 

ホッとした。

 

偶然だけど、もう一つ進展が今日あった。

熊谷家の本家の日野屋にあった古文書、コロナ禍前は某資料室館長が私と一緒に直接岩手に行き本家に挨拶をして再調査という話になっていたがコロナ禍突入、長期化、出張規制などが重なり話が伸びた。

館長の現役期間の残りが短くなってきたので私が岩手で預かり資料室に届けた。再調査は資料館でおこなわれる。

 

今までの私が知る慣例というかなんというか、本来なら正規の学芸員が同行して運ぶレベルの貴重なものを私がスーツケースに入れて新幹線で運んだ時の恐怖に近い緊張感。

あれはもう経験したくないが、無事届けられてよかった。そして今日目録か完成して岩手県の本家とのやり取り準備が整った。

今年度中に終わる。

資料、史料とは活かせる場所にあれば分類され後の世代に役にたつ。

館長の引退前に渡せて良かった。

若手の正規雇用学芸員への研究引き継ぎもやってくださるそうだ。

 

私の現役時代の知り合いの学芸員、研究職は次々と定年退職をしていく。

その彼らとの縁のおかげさまで今の私がある。

重ねた好奇心も積もれば雑学になり、もっと積もれば学になる場合もあれば良いなあ的な。

 

 

 

 

 

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