熊谷登久平の遺族としての用事が重なる年度末。
来週は登久平の作品を調べに某美術館の館長さんがいらっしゃる。
97血中酸素
機械87
実測78 脈安定
体温36.2
血圧124-80
熊谷登久平の遺族としての用事が重なる年度末。
来週は登久平の作品を調べに某美術館の館長さんがいらっしゃる。
97血中酸素
機械87
実測78 脈安定
体温36.2
血圧124-80
熊谷登久平が憧れたマティスと同じ屋根の下に熊谷登久平の作品が展示されていることに感無量。親孝行できたねと。
戦前の昭和16年まで義父の熊谷登久平が所属していた白日会の創立100年記念展の内覧会にて。
義父の友人で我が家に学生だった絹谷幸二画伯らを連れてきていた島村三七雄画伯の作品も同じ壁面に並び。
つか台東区に住んでいた画家3人の絵が並びました。
物故会員の顔写真のいくつかは我が家のアルバムから、島村三七雄画伯の顔写真、また記念誌に使われた写真も義父の形見から。
美術で挫折し民俗学の調査員をやった経験で調べてきた戦前戦後の義父たちの記録がとても役に立ち、懇親会ではご紹介頂けてびっくりしました。
谷中のよみせ通りのレディースかわいさんで購入したワンピース。
ふりふりしたものはウエディングドレス以来で、買う時とても迷ったけれど還暦過ぎたので開き直ってみた。
このワンピースを仕入れた目利きのレディースかわいの女主人も去年亡くなられて、店も閉店した。
このワンピースは白日会100周年の時に着ていこうと心に決めて購入し、数ヶ月後に着用。
軽くて気持ち良い作りです。
おばちゃん仕入れてくれててありがとう。
義父たち白日会の創立メンバー外から会友を経て会員になったメンバーが作った同人『まひる』の会。白日会の青年将校たちとも呼ばれていました。
今日は風はおさまっているけど、目が痒い。
私の油絵の先生は残念ながら私が高一の時に癌で亡くなられてしまった。進行が早い癌だったなと今は思う。
雑談が凄く面白かった。それが結構私の宝物かもしれない。
山陽本線で明石から姫路に向かう途中に伊保山の垂直に切り立った石切場採石場のがあり、その手前の山の中腹に先生のアトリエがあった。
海と山の間の高台。
まだ描きたいものがあっただろう。
先生が描かれた伊保山の採石場は大作で立派な作品だったが阪神淡路大震災で建物ごと失われてしまった。あの絵があった場所を電車で見かけると喪失感が大きい。
田中祐一先生は熊谷登久平より9歳下だから、上野の山の画家たちのことを語ったのも今だからわかる。
空襲被害を免れた先生の美術雑誌などの膨大なコレクションも震災で失われてしまったが、それらを好きに読ませてくださったことも感謝している。
先生が師事した辻永(つじ ひさし)が創立メンバーであった白日会に今私が関わったのも不思議な縁だ。
彼岸の入りに義父たちが世話になった浅尾丁策さんの仏前に界隈の皆が好きだったという煎餅を届けた。
浅尾丁策さんが戦前の白日会や義父たちのことも書き残してくれていたおかげで、調査のとっかかりができた。感謝しかない。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E5%B0%BE%E4%B8%81%E7%AD%96
上野桜木に白日会の案内と招待券と記念誌を届けた。
冊子や私の右往左往を褒めていただけて嬉しかった。
義父と村上鉄太郎画伯を含めて白日会のメンバーをよく知る人なので古き良き思い出話しをいただけて楽しかった。
桜にメジロがいた。
右往左往しながら東京では忘れられた画家であった義父の熊谷登久平関連を調べてきた。
怒鳴られたり叱られたりして投げ出したくなったこともあったけどコツコツと続けて、個展を開けたし、収蔵している公的美術館を増やしたり、推し活を頑張ったと思う。
今日は義父の初期作品『小菅刑務所』を乃木坂の国立新美術館に搬入した。
よほどなことがない限り、3月20日が内覧展で21日から一般公開。
なんというありがたさ。
池部釣画伯、京都の土下座の像で有名な伊藤五百亀らの作品、村上鉄太郎画伯の遺品も我が家で預かり一緒に搬入、預かっている間めちゃ怖かったです。
凄く貴重な資料が展示されます。
浅草の芸能関係の資料もあります。
洋画学校の美學と太平洋美術が上野の山にあり、芸能のメッカが徒歩圏と言える浅草にあったので舞台美術と洋画家は密な関係がありました。
一例としてのリンク
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9262.html
白日会100周年記念展の冊子には錚々たるメンバー紹介がつまり、その中に熊谷登久平も入っています。
あとがきに私のことも書いてあり、おおっと。
凹むことも多々ありましたけど、結果はある程度出たと思う。
美術館の地下の食堂「カフェテリア カレ」で白日会の方に、マティス展コラボメニュー、
『ニースにちなんだ特別メニュー 牛すね肉のニース風赤ワイン煮込み バターライス添え¥1,320(税込)』をご馳走していただいた。
そういえば、今回搬入した熊谷登久平の作品は白日賞を受賞した作品で、その時のことを長谷川利行は『熊谷(登久平) ハ白日賞ヲ受ケマシタ。白日会へコノ間一寸行キマシタ。 富田(温一郎)氏が居マシテ白日評ヲ書イタカラトテ美術館食堂ニテ、ソーセージヤ酒、ビフテキ等ノ御馳走ヲシテクレマシタ。十日ブリニテ人ラシイ食事ニアリつけた次第デアリマス。(昭和4年2月16日 矢野文夫宛書簡より抜粋)』と、書き残していたりする。
なんか偶然とはいえ重なりうれしや。
月の光 夜の風 しのび寄る 黒い影 「誰だ!」
カラオケで思いっきり叫びたい気分。
てんてけてんてけてんてけてんてけ
不整脈な徐脈でだるいので、今日は安静にしている。徐脈、橋本病だとわかってない頃は酷かった。今はコントロールがある程度できている。
ごくたまーに脳がふわりとして倒れるのが困る。
昨日ブログにホワイトデーは焼き芋と書いたのを読んだ夫が干し芋を買ってきてくれた。
明日は国立新美術館への搬入がある。
遺族で関係者な夫は仕事がある。それと手首に水が溜まってて結構大変。
ぶっちゃけそういうのは夫苦手で全部私に丸投げ。
でもね、私一人では不安があるので明日仕事が休みの知人に手伝いを頼んだ。
白日会を支えた村上鉄太郎画伯、野口良一呂画伯、無縁寺心澄画伯、柬理次良画伯について100周年記念誌に残るのが嬉しい。しれっと義父のことも掲載されているけど。