今日の谷中のヒマラヤ杉。
空は上質のターコイズの色で、ティファニーが混ざりのないトルコ石を愛したのが理解できる色。
私のiPhoneでは盗めない空色なのですが、綺麗な色です。
昔は空色が絵具の中にあり、私の成長期は大気汚染の時代だったので不透明絵具の空色でも空は表現できた。
が、絵具を混ぜて空色を作ろうとし安定して作れず、悔しい思いをしたのが中学生の時。
あんなちっちゃいチューブ絵具ので大きな絵を描く指導をした美術教師が悪いと今は思っている。
描き方も全然教えてくれない美術教師だった。
淡路島から播淡汽船で明石まで通っていた寺の息子の美術教師は画家になれたのだろうか。
とうとつだが、今日、阿蘇山が噴火してリアルタイムで現場にいる人たちが映像を流していた。
噴火予知の難しさを感じながら今回死者が出ていないらしいという情報にホッとしている。
明石の小学生時代の5年生の時の担任が隣の加古川市の加古川西高の生徒たちが修学旅行先の阿蘇山で噴火に遭い複数の死者が出た話しをしたことがある。
生徒が阿蘇山で死んだ話はテレビで怪獣映画のラドンを観ていた時に親に聞いたが私には漠然とした話だった。
それが担任教師の雑談の中で加古川西高の生徒と聞いた時にに突如生々しく感じた。
担任はその噴火以降に避難壕が阿蘇山に作られたと話していた覚えだ。
その4年後に中学の修学旅行で阿蘇山に行きコンクリの避難壕を観てこれかと。
高校の修学旅行も九州だったが、その前にまた3人死者が出た噴火があり、沢山あった避難壕までたどり着けなかったのかと怖さを感じた。
この時は火口見学したのかなぁ記憶が草千里しかない。
中学の時は軽石を沢山買い持ち帰った記憶だ。
高校の修学旅行では桜島も訪問して大正時代の噴火の溶岩によって九州本土に繋がり島から半島になった時の道をバスで走り、その時の噴火を事前察知した人が島民を非難させた話も聞いた。
察知しやすい火山と難しい火山があるんだなと、17歳の私はそのうち予知ができるようになると考えていたな。
(あれから40年以上経ったが地震予知も噴火予知も難しいままだ)
その後、仕事で阿蘇山に何回か行き、火口付近で商売をしている婦人にその時の話を聞いた。
慰霊碑のあったところは地形が変わり行けないとのことで、数年前に最後の慰霊祭が別のところであったと教えてもらった。
加古川西高の生徒が犠牲になった噴火が昭和28年、多分50回忌なんだろうと40近くなっていた私は死者が出たと教わった場所に向かって手を合わせた。
地元の人のヘリコプターで碑があったところを飛んでもらったけど、埋もれていた。
そういえば、エアロスバルでも阿蘇山と雲仙岳の噴火現場を見せてもらった。
神の領域だと従軍経験のある操縦者が言っていたのも思い出す。
今回の噴火で阿蘇山のロープウェイが熊本の大震災とその後の噴火で駅舎などに多大なる被害が出て再開叶わず廃止となっていたと知った。
あのロープウェイも好きだった。
今日はうちの裏の卒塔婆が賑やかだ。
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