熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

近所の梅の花が可愛い。

リハビリの帰りに近所の梅の木を巡った。
一軒梅を切っている最中だった。

三浦坂を降りて切手通りを右に曲がって少し行ったところにある「ひるねこBOOK's」さんにて牛島秀彦さんの本を見つけた。

「もう一つの昭和史 4 浅草の灯エノケン 毎日新聞社 1979」

私にとっての牛島さんは同じ担当さんの作家であり翻訳者で、ジョン・トーランドの名著「戦いの神々」「占領」を翻訳された方である。
戦前のプロ野球選手であり日大の学生でもあった投手の石丸進一という航空特攻死者の従兄ということや戦争ものの印象が強かったので、エノケンの本も出していたことに驚きもあった。

150円で購入したが良いのだろうか先輩になるのにと少し葛藤。

石丸進一氏は1944年に学徒出陣で海軍飛行科に配属され翌年特攻に志願し作戦前に里帰りをして子どもだった牛島氏にも会い一発殴っている。
そして特攻に旅立つ前に戦友とキャッチボールを「これで思い残すことはない。報道班員、さようなら!!」と言ったそうだ。
これは鹿屋の報道班員だった作家の山岡荘八が書き残している。
同じく鹿屋の報道班員だった川端康成はとか当時を知る人たちから色々聞けたの良い経験だったのかな私は。

牛島氏はジョン・トーランドご夫妻と家族で交流もされていて、それは羨ましくもあったが、積極的に働いておられたためか64歳で倒れて亡くなられた。
氏が訳すはずだったトーランドの朝鮮戦争の本はどうなったのかなと思っていたり。



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