夫感染症により発熱、往診の結果来週月曜日まで自宅で点滴治療となる。

ヤフオクに面白いものが出たが……
『白日帖 水墨画 12枚 画集 サイン帖 風景画 人物画 佐藤太清 棟方志功 笹岡了一 中沢弘光 熊谷登久平 古文書 和書 和本 昭和初期 中国美術
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義父が可愛がっていた従兄弟の一人、平澤一男さんは義父の年下の叔父の長男。
年下の叔父とは共に旧制中央大学に通い、叔父は自分宛の仕送りも義父の画材代などに融通していた伝承もある。
その息子の一男さんは絵をやり、戦後東京藝大を受けるも落ちて他の大学に行ったと伝わる。
一男さんは目が良く、記憶力も良く、義父の死後アトリエに残されていた作品を相続税で喘いでいた遺族への育英資金とするために定期的に引き取っていた。
義父から生前贈られた作品と彼が選んだ作品群を私は平澤一男コレクションと呼んでいる。
コロナ禍が落ち着いたら熊谷登久平と女たちのオーラルヒストリーをいただく約束だったのに体調を崩されて去年秋に亡くなられた。かなしや。
義父の従兄弟の熊谷儀一さんも亡くなられて、学徒動員時、大学受験期、東京での学生時代に熊谷登久平宅に滞在していた人はあちらの住人となってしまった。
昭和8年独立展「書架と雉子」「月夜」「風景」「鳥離室」この第3回独立展で海南賞を受賞。
海南賞は当時朝日新聞副社長だった下村宏こと下村海南氏が第二回独立美術展から提供した賞。
登久平は独立賞を切望しており勝負作品。
私からしたら下村海南に認められた作品というだけで凄いと心から思うのだけど。
描いた場所は現在地に住む前の谷中初音町のアトリエと思われる。
イーゼル、画架に置かれている作品は『果物』。
こちらも平澤一男コレクションで現存。
平澤一男コレクションと義父の甥の熊谷英三コレクション(一関市千厩の日野屋、熊谷美術館に収蔵)と旧千厩町収蔵作品(熊谷儀一元町長関係)はほぼ熊谷登久平の次男で物心ついた時に絵筆を渡され登久平が作品を描いている最中も側で観ていることを望まれた私の夫の寿郎が修復をしている。
義父亡き後はお弟子さんたちと義父の指導画会バリエア会の跡を継いだ 松島正幸画伯が寿郎の指導にあたった。


うちの氏神さまの諏訪神社で夏祭りの準備が進んでいた。






体温脇36.6
体温額63.3
血中酸素96
機械脈80
脈実測80 飛びあり
血圧120-60