熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

柬理次良(かんり つぐなが1903-1970)) メモ再び

谷中の染井吉野は満開だ。

 

柬理次良(かんり つぐなが1903-1970))
釧路町(現・釧路市)に生まれ、上京して川端画学校に学び、国画展、日本水彩画会、白日会などで作品を発表。白日会会員。白日会章の八咫烏は柬理次良が清書したもの戦後は日展にも出品した。
また、青空画会(現釧路美術協会)黎明期に東京から賛助出品して協力するなど、最も早い時期から釧路の美術界に貢献した一人である。北海道内所蔵の作は釧路市立美術館に2点、北海道立近代美術館に2点、北海道立釧路芸術館に1点残されているのみであり、知られざる釧路の画家の一人である。
(情報協力:釧路市立美術館)   

   

『四十七回展が来る。四十六回展には吾が敬愛する柬理君が健在であった。それがそつ然として他界された。老少不常と申せ何か手の中の玉が失せた淋しさがある。
柬理君はいつもひっそりとして事務所の片隅に居た。そしてポスターまで作って居た貴重な存在であった。
会の歴史が永ければ長いだけ、喜びも悲しみもある。僕は、心から彼の逝去をとむらいたい。篠原薰』

 

『篠原薫 (しのはら かおる 1888-7-1987)
主に、日展、白日会展で活躍した昭和の実力洋画家である。
1988年(明治21年)香川県生まれ、香川県立工芸学校(香川県立高松工芸高等学校)に学ぶ、昭和8年白日会会員に。のちに白日会委員、日本美術家連盟会員。白日会展で白日賞、中沢賞受賞、日展入選。
戦前戦後東京都台東区谷中三崎町57(谷中小学校の坂上)で暮らし、近隣画家たちと交流した。
『団子坂風景』は谷中小学校の屋上から団子坂方面を描いたと推測できる。昭和30年代半ばに葛飾区青戸へ転居。晩年は千葉県流山市江戸川台へ。
昭和62年流山市で逝去、享年99歳。

生涯現役画家であった。

「私のカツギ屋画商時代に横浜で知りあいになった篠原薫という男が、ひょっこり店にたずねてきた。「いっしょに商売をさせてくれ」というのである。
彼は船員あがりで、小さな喫茶店を横浜でやっていたのだが、絵が好きで当時、白日会に出品しており、その旗頭の富田温一郎さんをたいへん尊敬していた。『洋画商 長谷川仁(日動画廊創業者)著 日動画廊, 1964』」

 

↓柬理次良

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↓篠原薫


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