午後、戦前義父が会員としてお世話になった白日会展へ。我が家からは最寄駅の千代田線根津駅から展示会場となっている国立新美術館直結の乃木坂駅まで乗り換えなしなので助かる。
義父の作品や資料を搬入する時はタクシーだったが発送代ほどでつける距離なのも嬉しかった。
開戦前に日本美術界隈は揺れ、そのとき白日会も揺れ義父を含めた白日会の青年将校と呼ばれたグループが離脱した。
そして義父は戦争画を描かない仲間がいる独立美術の会員となった。里見勝蔵画伯から独立のフォーヴを守れと言われていたからだとも聞いているが、どうなんだろう。
戦時中も熊谷登久平宅では里見勝蔵の座談会的なものも開催されていて白日会独立会の若手が集っていたそうだが、当時を知る人はもういない。
戦前からテーマに沿った作品で競うのは白日会でも楽しんでいたのに、時代の流れにちょっと反抗的な部分があったと思われる独立が熊谷登久平にはよりやすかったのかも知れない。
それでも戦時中、白日会関係者の展示会に作品を出していたので無縁ではなく、戦後、白日会会長中澤弘光画伯からの手紙も残っている。
とはいえ、世話になり良い立場を得られていたのに出た熊谷登久平を今も関係者としてくださっている白日会に次男である夫は感謝している。
残念ながら眩暈が安定しておらず念のため杖を持っていく。が、行きの千代田線でふらつき、優先席に座っていた白人の人にぶつかるがワザとと取られたようで睨まれて怖かった。
日本人の人が席を譲ってくださった。3人席の真ん中で両隣が外国人だった。
白日展会場受付に去年色々調べた坪内正画伯のお弟子さんがいて池之端画廊で私個人蔵の作品を展示したことをとても感謝された。
また遺作集が広島の県立美術館に納められるきっかけを作ったことも感謝された。
あれからあちこちの美術の学芸員さんに画集を求められて差し上げるようになっていることなど雑談。私は坪内画伯の作品も好きだ。
なお、私が死ぬ前に某美術館に関係資料も含めて寄贈する口約束にはなっている。
お会いした坪内正画伯のお弟子さんはお二人、聞くと義父の戦前の画仲間だった伊藤清永画伯が坪内正画伯と戦前から親しくて、その縁で白日会と坪内画伯の繋がりがあったそうな。
事務局長の寺久保さんに会場を案内頂き、夕方志村けんが気に入っていたという乃木坂の母体が魚屋さんだという居酒屋で飲んだ。ほぼ奢り。🙇♀️
刺身の熟成具合が好みで体調が良ければもっと食べていたと思う。お通しがないのも良く幸せ。
寺久保さんは勝海舟の直系の方の親友でもあり、勝海舟の日記に登場する熊谷伊助の血縁の熊谷登久平とのこととか縁の不思議を感じている。
白日会百周史に協力できたのもあの世の縁の繋がりだったし、私が入れ込んでる画家の1人坪内正画伯が伊藤清永画伯の学生時代からの友人だったのもそう。
義父の画仲間の村上鉄太郎画伯の遺族宅で伊藤清永画伯と中澤弘光画伯の野外スケッチの写真を色校当日に再発掘し百年史に掲載できたことなどを中山忠彦会長から「ありがとう」と言っていただけたこと嬉しかった。あの写真は本当に喜んでいただけた。
縁は面白いし、ありがたい。









↑亀山裕昭画伯の『 Mellow & Yellow 』
ボートが見える駐車場と黄色い素敵な家とソーラパネルに青い空で、水たまりに映る家。
その家はお金をかけて建てたのだろうなと思える作りで、でも今は手入れされてない感じで。
すんげー心惹かれた。
















以下愚痴。
朝、眩暈で病院に行くかで夫と揉めた。
眩暈とか何もかも対処療法なので嫌気が溜まっている。
対処療法に毎月2万円ほど使って、大学病院で定期検査もある。
おかげさまで随分と数値が良くなり肥大していた心臓も1センチ縮んだが、年間何十万かけて1センチ。という気持ちもある。
弁膜症もあり汚い血が巡るのでひたすら疲れやすく、だるい時はユンケルなどで補完しながらやっている。
加齢もあるとわかっているが、医療費が嵩んでいて、肥大も不整脈もほっといてバタと死ぬのが経済的ではないかと。
で、台東区の火葬代が4月から9万円に値上がり、直葬でも棺桶やらなんやらで結構かかる。
とか吐くほどの眩暈の発作をトラベルミンで抑えつつ情けないと悔しくて。
育児時代、介護時代、再婚前のスープの冷めない距離にママ友たちがいて、それまでの蓄積で原稿がある程度書けていた時代をふと懐かしむ。
ママ友たちも親の介護で実家に帰り二重生活となり身体を壊したり、やはり離婚になったり。
母子家庭で良かったのは医療費の補助が出たことかな。あの頃は公立高校の無償化はまだなく、アルバムや修学旅行の積立が辛かったが医療費補助は大きかった。
とか、先日の医療費の領収書を見て気分が良くない。



