熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 226の日 山形県米沢の空襲はあったかなかったか

『湯川れい子氏、終戦時9歳は「戦争経験に入らない」の声にあきれ…「あなたは何が言いたいのですか?」(スポニチアネックス)
#Yahooニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc8f7b31c67c6613aa9430cb204d6cdd5f9cf7dc?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20260226&ctg=ent&bt=tw_up

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評論家の湯川れい子さんが戦時中の思い出を語られて、それは戦争体験だと私は思うのだけど一部の方達が熱心に反論され、彼女が疎開していた米沢市に空襲はなかったと言い出し、また米沢の近隣には米軍の基地はない的な人までいる。

彼女が記憶の中でB-29に機銃掃射を受けたと書いたことから鬼の首を取ったようにミリオタと呼ばれる方たちが楽しそうに冷笑的な書き込みしている。

(怖いな)

 

 

私はヘルキャットとか艦載機で太平洋戦争後半には米軍の空母が近海にいたし米沢に来襲は変じゃないと思う主婦。

義父たち画家や画廊関係者も山形に疎開をしていましたが、その中に機銃掃射を受けたとの証言が活字の中にあり。

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その後、長谷川利行の遺作を抱えて山形に疎開していた家族の1人に会いましたけど、機銃掃射の話題が出て、念のために調べたことがあります。それで、米沢の美術館もかねた博物館にも問い合わせはして終戦前にあったと。

https://x.com/rockfish31/status/2026671617758359746?s=46

 

恥ずかしながら、昭和7年名古屋生まれ育ちの実母はB-25とB-29とコルセアとグラマンとマスタングと三式の区別がついてない人でした。

重ねますけど、実母はマスタングと飛燕の見分けがつかず、私が証言確認の資料として三式を作っていたのを見た時の嫌悪感半端なく。

そして飛燕をグラマンと言ってました。

 

 


一応、母の世代は敵機影の見分け方の講義を受けていたようだし、音も蓄音機で聴くなどやったそうですが結構なんでもB-29でした。

なお、私がB-29搭乗員と交流していた頃、母は彼らに会おうとしませんでした。

 

なんか機銃掃射なんかなかったとまで言い出す人もいる。

『ガラスのうさぎ』とかさ。

 

夫と義兄が通っていた台東区立谷中小学校の旧校舎には機銃掃射の跡が残っていたそうな。

そういえば半蔵門駅近くの平河天満宮にも機銃掃射の痕跡がある。

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