熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

鬱の波かな。

私が留守の間、身体が弱い夫に何かあったらと敷地内のアパートの住人さんたちに頼んでいる。

なのでお土産を買って帰るが、昨日は一関の旧制一関中学時代の義父が入り浸ったという松栄堂さんで買ってきたお菓子を配った。

夫が好きなものも買えて、また以前から食べたいと言っていた一関駅のハンバーグがドーンの駅弁も買え、夫喜ぶ。

正月に買えなかった海宝漬けも駅で買えた。

 

夜、夫と海宝漬けを食す予定にしていたら夫がちょっと良い米を買ってきた。

炊き立ての白米に海宝漬けで美味しくて、ふと「幸せだな」と、声が漏れた。

5,000円弱のものを2人で食べられる。

米もそれなりのを食べてる。 

幸せだなと。

これ、義父は食堂で食べられたのかななど。

春になるとめかぶが熊谷登久平宅に届いていたそうだけど、それはどこのめかぶだったのかな。

こんな雑談的な疑問も聞くと話してくださる人だった。

義父の130周年やれるだろうか。

 

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また生活保護受給者叩きが増えた気がする。
認知症の母の24時間在宅介護時代、高校生の子ども2人がバイトを頑張ってくれてたけど、母の短期入院時の差額ベッド代とか辛くて。

元夫は約束していた養育費を払ってくれなく。

もう本当に生活ができなくなり私が生活保護を申請した時は介護を手伝わず母を扶養にして金もくれなかった弟に生活保護申請の連絡がいき、母の実家にもいき、弟からは怒鳴られて、足立区は生活保護の不正を許さないキャンペーンをやってて、唐突の調査訪問とか。生活保護Gメンとかもいたうろ覚え。通報窓口の電話番号が広報に大きく載っていた時代。

私は取材しなくて良い書評などの内職。受けていたのはノンフィクションの書評や校正チェックなので資料代はかかった。

息子が就職して娘のバイト代と母の国民年金と私の内職的な収入で生活保護から抜けたけど、残業を終電までやってた息子が倒れたり色々あった。

唐突に前夫が怒鳴り込んできたり。

生活力がないのは惨めでしかない。

 

ノンフィクションをやっていた頃は夜行バスや青春18切符で取材費を節約していた。熊本へも青春18切符で行っていた。

ので、最初に熊谷登久平の調べものをやり始めた時は格安夜行バスで移動をしていたが、今夫から新幹線を使ってと懇願され、宿泊費節約しなくて良いと言われて今に至る。

生活力はないが資料代は私の収入からやっている。


が、今も私は低収入で夫に養われてて、ふと死にたくなるときがある。

 

でも幸せだなと思う時が多いので、しかもコツコツやってきた義父のこと、義父の血縁者が美術館にと望んでいたことが少しだけど叶ってきて、よかったなぁと。

亡くなられた方と義父の130周年が美術館でできたらと語りあっていたのが叶うといいな。

 

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