そういやぁ、1943年10月21日の学徒出陣壮行会から82年だ。
理工系・教員養成系(理数系)以外の学生の徴兵猶予が停止された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3
寒暖差で自律神経がおかしいらしく、めまいで吐きそう。つか吐いた。
トラベルミンで対処しているけど、ひどい時は歩けないぐらいの眩暈になる。
脳外科で検査を受けたが古い脳梗塞の跡はあるが的な。で、精神科を薦められた。
不整脈と眩暈にソラナックスも使うので、結局は精神的なものなのかなと落ち込んだりもする。
一応心臓は喘息の薬の後遺症的なもの、眩暈は橋本病も関係するらしいが、体調崩すと午前の私は使い物にならない。
ニンニク注射効くけど。
など、トイレ行くのが精一杯で寝込んでいる昼前に夫が肉まんを買ってきてくれた。感謝。
美味しいし温まるし、これで朝食後の薬が飲める。で、食べたら胃が動いたのかお腹が空いた。謎だ。
夫インフルエンザの予防接種を受けた。コロナワクチンは拒否する。3回目の時の副反応がひどかったので怖いと。
私は体調不良のために次の機会になる。


写真は下谷区谷中清水町(現台東区池之端4丁目)の昭和5年日本画家渡辺華石の葬儀の写真。
渡辺華石、多くの資料で尾張藩出身となっている士族。
『渡辺華石 わたなべ かせき
日本画家。名古屋生。名は静雄、字は規道、別号に棲碧山房主人・寄春草堂等、本姓は小川氏。張月樵の子月載・森高雅等に師事する。のち渡辺崋山の子小華のもとで学び、その後をつぐ。唐宋の画法に通じ、崋山に関する研究でも知られる。昭和5年(1930)歿、79才。』
https://www.weblio.jp/content/%E6%B8%A1%E9%82%8A%E8%8F%AF%E7%9F%B3?dictCode=BJTJM&erl=true
ここは吉田藩家令の住居跡ではあり遺族は華石が吉田藩士だと伝え聞いていたが、吉田藩の資料の中に小川静雄の名はなかった。
維新後の新戸籍地は士族の別邸が並んだ(江戸時代の軽井沢とも一部に言われる)向島の明媚だった土地(江戸郊外の武家地)が書かれている。ご遺族がその前の戸籍を調べるも原本は関東大震災で焼失とあり、昭和に属した菩提寺の過去帳にも記載なく。尾張藩で調べようかと考慮中。
尾張藩の士族名簿は結構しっかりしているうろ覚えだし、小川家の名はある。ご遺族は調べても良いと言ってくださっているが。

今では山本五十六の別荘とも伝わる熱海市の水光荘は下谷区谷中清水町(池之端4丁目)小川家(渡辺華石)のお嬢さん節子と結婚した日本画家安田半圃の別荘で軍に貸していた。
安田家は別棟を別荘とつかい、疎開生活をし、敗戦後も治安が良いと熱海でしばらく暮らすも……



(なお私の母方の曽祖父の名も尾張藩にあった。新興宗教にハマった母の実家は武士で人を多く殺めた罪を償えとかで、手元に気持ち残して寄付し、母の兄が亡くなった時に武家の遺品は御祓的なのに出した)
安彦良和展が渋谷区で開催される。行かねば。




