

小川節子 (おがわ せつこ 1905-2004)
渡邊華山(登)の次男瞬治(渡邊小華)の窮乏時に負債の肩代わりをし、感謝した瞬治から渡邊姓とウニ貝の家紋を引き継いだ小川静雄(渡邊華石)の三男小川康(渡邊華雲/華石)と現愛知県豊橋の(大河内家)吉田城内吉田神社(三河伝統 手筒花火発祥之地)を守る磯部家子女志げの長女。
夫は日本画家の安田半圃。
下谷区谷中清水町(池之端4丁目)出身、忍岡高女から上野の東京音楽学校(東京芸大)に進学しヴァイオリンを専攻した。
結婚後南画家の小室翠雲(こむろ すいうん)に師事、昭和5年に南画展に入選、続いて帝展にも入選し新聞で大きく取り上げられた。
また、昭和7年に南画展を訪れた中川一政は
『他の同人諸作は一向動かない。それぞれ安住の地を求めて逃げてある。逃げる者は追はず。
松野自得、森谷南人子、伝川白道子の作品は甘い情趣をねらつた作品である。ただ小川節子の「新霜」と云ふ作品は、癖のない素直な態度を幾多の有形男子の中に示すものだ。』と、武蔵野日記に書き残している。
永続的識別子info:ndljp/pid/12542018
タイトル中川一政文集 第2巻
出版者筑摩書房
出版年月日1975
請求記号KH397-56
書誌ID000001253412
識別子(DOI)10.11501/12542018



『他の同人諸作は一向動かない。それぞれ安住の地を求めて逃げてある。逃げる者は追はず。
松野自得、森谷南人子、伝川白道子の作品は甘い情趣をねらつた作品である。たど小川節子の「新霜」と云ふ作品は、癖のない素直な態度を幾多の有形男子の中に示すものだ。』
武蔵野日記 (三笠文庫 ; 第25) 中川一政 著 三笠書房 南画院を評す15頁より抜粋
出版年月日1952
中川一政が誉めた小川節子の南画院出展作の『新霜』検索すると『藝術 10(7) 大日本藝術協會 出版年月日1932-05』に記載があり昭和7年出品作と思われる。中川一政の武蔵野日記には昭和7年7月9日とある。
請求記号雑33-38
書誌ID000000006540

白日 第4年(帝展號) 18頁
出版者白日荘
出版年月日1930-11
請求記号雑33-57

藝術 9(9)
出版者大日本藝術協會
出版年月日1931-04




