今年は戦後80年で昭和100年。
なので、池之端画廊さんにお願いして戦争画を展示しようとしております。今のところ展示予定になっていますが、お客さん興味持ってくださるかなぁ。
また、義父の熊谷登久平が描いた戦争画『鹿島神宮・香取神宮(昭和19年独立美術展)』『夏に鍛える(昭和14年白日展)』は公立美術館が寄贈を求めてくださり審査のために10月10日に我が家を離れるので展示は無しで。
遺族からしたら公立美術館に作品が入ることは、自分たちの死後にも残せるということになりありがたいことです。
坪内正画伯 私個人蔵 ご遺族に掲載許可他得てます。おかげさまで白日会会員のお弟子さんとも連絡取り合っています。白日会100年の資料探しを手伝っててよかった。

中島AT-2旅客輸送機(陸軍97式輸送機)かなぁ。油彩
(中島AT-2旅客輸送機)

多分九五式一型乙練習機かなぁ。胃に穴があきそう。油彩
(海軍93式中間練習機)

1、97式重爆撃機かなぁ的な。水彩
アンテナの位置で
奥のは一式的な
(陸軍97式重爆撃機)

下駄履き赤とんぼとか画題つけたらダメだろうか。
九三式水上中間練習機?
九〇式水上初歩練習機?
教えて偉い人( ; ; )
(海軍93式水上中間練習機)

練習機のプロペラ調整の講義かなぁ。
義父の弟さんが少飛の教官だったのに
(陸軍三菱キー7試作机上練習機)

画題は「下駄履き赤とんぼたち」でいいんじゃないと夫に相談したら、「赤とんぼ=練習機は今はもう通じないと」
嗚呼。
(海軍93式水上中間練習機)

坪内正画伯作品
夜戦演習なのか、夜戦なのか。
以下ニフティのF戦前会議室仲間の杉山弘一さんの見解。ありがとうございます。
『河原さん こんにちは
1 陸軍97式重爆撃機
2 海軍93式水上中間練習機
3 陸軍三菱キー7試作机上練習機
4 海軍93式水上中間練習機
5 海軍93式中間練習機
6 中島AT-2旅客輸送機
旗は、わかりませんね。
念のために、旗も含め、名称の確認はしておきます。』
『見直しました。
90と93式水上練習機の違いは、垂直尾翼の形状で判断しています。
97重爆は、左一番手前の機体です。
↓1 陸軍97式重爆撃機

↓2 海軍93式水上中間練習機

↓3 海軍 90式機上作業練習機

↓4 海軍90式水上初歩練習機

↓5 通信省?の95式3型練習機

↓6 陸軍97式輸送機(民間使用の場合は、AT-2になります)』

↓参考としてリンク
https://www.mod.go.jp/gsdf/aasch/aaspr-hp/history/slide1/slide1.html

↓国立近代美術館
『コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ
会期
2025.7.15 - 10.26
会場
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー』
https://www.momat.go.jp/exhibitions/563
『「昭和100年」、「戦後80年」という節目の年となる今年、美術を手がかりとして、1930年代から1970年代の時代と文化を振り返る展覧会を開催します。絵画や写真や映画といった視覚的な表現が果たした「記録」という役割と、それらを事後に振り返りながら再構成されていく「記憶」の働きに注目しながら、過去を現在と未来につなげていく継承の方法を、美術館という記憶装置において考察するものです。
しばしば美術は「時代を映し出す鏡」と言われます。その視覚的なイメージには、作家の感性を介して、制作時の世相や文化が刻印されています。それだけではありません。美術は時代を超えて生き続けることにより、後の世代によって新たに意味づけられるものでもあります。つまり美術が映し出すのは、作品が生み出された過去の一点から現在に至る時間の流れの中での、人々の美意識や社会と歴史を見つめる眼差しの変化なのです。
今、戦争体験を持たない世代が、どのように過去に向き合うことができるかが問われています。それは他でもない、現在を生きる私たちの実践にかかっているといえるでしょう。戦争記録画を含む当館のコレクションを中心に他機関からの借用を加えた計280点の作品・資料で構成される本展覧会を通して、美術に蓄えられた記録をもとに新たな戦争の記憶を紡ぎだすことを試みます。美術館がこのような記憶を編む協働の場になることができれば幸いです。』
に展示されていた戦時の美術の分類から
『戦時の美術の分類(その名称と画題)
戦時に制作・発表された絵画は膨大な数にのぼります。そのうち東京国立近代美術館が保 管する「作戦記録画」は軍によって委嘱された公式な作品群ですので、全体のごく一部にす ぎません。画題は戦史に残すべき戦闘の場面が選ばれています。一方で「戦争記録画」とい う呼称は、軍からの依頼の有無 にかかわらず戦闘場面を記念碑的に描いた作品を指します。
そのまわりに、「前線の光景」「銃後の光景」「大陸・南方風景」「歴史主題」「仏教主題」「象 徴(桜・富士山など)」などを主題とする時局を反映した美術のすそ野が広がっているので す。これらを総称する用語として定着したものはありませんので、この図では仮に「戦時の 美術」としました。「戦争画」という一般的な用語も使われますが、その境界を確定すること は難しく、狭義には上記の「戦争記録画」を、広義には総力戦を表象する絵画全体を指す 場合があります。』

『作戦記録画を発注した軍部の認識を、当時の文献から抜粋して紹介しましょう。
-黒田千吉郎「戦争画について」『南方画信』1942年9月
「美術、特に戦争美術の重要性を知る陸軍は、支那事変勃発するや、直ちにこれを記録して永く後世に残すべく作戦記録画の制作を企図した」
「渾身の力を傾注して完成された作品は、銃後国民の士気を昂揚せしむるのみならず、永く後世に残って子々孫々に至るまで、我等日本人の血を湧き立てさせずにはおかない」
-画家・山口蓬春の手元に残っていた「昭和十九年度大東亜戦争陸軍作戦記録画制作計画(案)」
【註: 読みやすいようひらがな表記にしています】
「三、作画公開目的 1国内 作画を以て国内展覧会を開催し銃後一般国民をして戦況裡に正確
なる聖戦の実相を把握せしめ第一線将兵の労苦を偲ばしむると共に英霊に対する感謝の念を深め一
層奉公精神の強化奮起を以て志気の昂揚に努めんとす」
「五、記録すべき戦闘並画材 画材選定に当たりては関係方面と密に連絡し将来記録として必要なる
著名若くは重要なる戦闘を選択し併せて銃後国民に対する宣伝価値を考慮せり」』

↓ ■戦争美術史概説 迫内祐司
(さこうちゆうじ・小杉放奄記念日光美術館学芸員)
↓独立美術協会創立メンバーの清水登之の水彩画『南国風景』
アメリカでも絵を学んだ清水登之は従軍画家となり積極的に戦争画を発表しますが、長男の育夫が終戦前に戦死。
その後長男の肖像画を描き続け終戦後の12月になくなります。
最後の言葉は「もう戦争はいやだ」。
「でも、絵はまだ描きたかった」
果敢な戦争画を多く描いた清水登之ですが、同時期に画集『南方従軍画信』を発表しており南方の生活の様子なども描かれています。
ラフ画ではありますが、裏には鉛筆でバツを入れた絵があります。そのバツの風景、昔、水偵に乗っていた方に見せて頂いた南方の水上機発着場の写真と重なるものがあり、購入しました。






