熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ぐだぐだ

今月は今年度の固定資産税の納税書が届くので、夫のストレスが半端なく、いっそここを売り払って晩年の義父が住みたがっていた東北地方に家買ってとか言う。

毎年というか数年前店子さんに敷地内の賃貸の大事な柱と梁を破壊されて流動資産を注ぎ込んでからはずっと言う。

そして、今年の固定資産税がいくらくるのかと言う今日この頃。

相続税を即払いできなかった時の利息で夫は恐怖して、それからは利息が怖いともいう。

その愚痴を聞いてるうちに私も怖くなり失踪したくなる時もある。

中学の時だかに家財道具に差押えの紙を貼られたことがある。何も知らずに家に一人でいたので怖かった。あれは父が悪いが税務署怖い。

 

↓固定資産税の延滞金例。

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今の家、築50年が過ぎた。

そして設計した時の平均気温プラスアルファで義父の絵の倉庫は作られている。

しかし温暖化が進み中はとても暑くなり保管してある絵が傷んでいる。進行形だ。

耐熱工事をしないと限界かもしれない。

幸いなのは去年萬鐵五郎記念美術館の学芸員さんが二人でいらして記録をとってくださったこと。

作品が経年劣化で失われてもあった記録は残る。

その中にかつて評価が高かった作品もある。おかげさまで、少しずつ美術館が引き取ってくださっているが、本当に少しだ。それでも救いだ。

独立美術協会の海南賞をとった作品がとても良い。私はそれらを修復したい。

義父のことを纏めた自費出版と代表作修復用にとってあったお金はアパートの修繕費に消えた。

 

数年前、交通事故事故に遭うまでは絵の修復を熊谷登久平と松島正幸に師事した夫がやっていたが、修復は松島先生とお弟子さんが教えてくださったそうだが、夫はもう絵筆を上手く使えない。修繕ができない。

 

家を売り平均気温が低いところに義父の作品を持っていきたいと夫はいう。アナログな農機の修理もある程度はしたことがあるので整備士の資格でどこかないだろうかとか夢語りをする。(夫の相続人が怒るだろうな)

 

夫は生まれた時から上野駅が徒歩圏内(800m~1200mが徒歩圏内と言われている)で育ち暮らしている。

徒歩圏内に大学病院が二箇所ある環境で育った難病持ちの夫は地方の通院環境とかわかってない。

 

徒歩圏内にハブ駅の上野があり、鶯谷と日暮里、地下鉄の根津駅がある環境に育った夫は地方の交通インフラをわかってないと思う。

 

名古屋の都心と神戸市の栄えていた長田で育った私の両親が、小児喘息の私のために空気が良いところに住み替えて、まだ愛知県小牧市は良かったがそこから兵庫県明石市の田舎に転居してからの不自由と余所者に対しての距離感は大変で母はよく泣くようになり、喘息の治療先も遠くて発作時は時間外を払ってお願いしていた。街育ちの母には明石の田舎は辛かった。

 

夫の心臓のサルコイドーシスは対処療法しかない何かあったら直ぐに日医大までと言われながら通院している。毎週の訪問看護師によるメディカルチェックと隔週の訪問医による診察と投薬、数ヶ月に一度の日医大での検査。

それらに夫は日常生活を支えられている。去年の秋は夫は体調を崩して本当に大変だった。それでもタクシーで簡単に通院できる有り難さを夫は当たり前だと思っている。

 

夫の望郷は義父が乗り移ったようだ。

義父の熊谷登久平は大学生時代から支えてくれた内縁の妻が亡くなってから故郷にかえりたいと。

入院後は帰ると。

主治医が故郷の弟の親友だったから古里訛りも聞けたからだろうか。

入院中に弟さんが持ってきてくれた旧制中学の美術部時代の水彩画を眺めていたそうだが、中学時代人脈に恵まれて晩年まで仲良くやっていたそうな。その頃描いた絵を末期癌の病床から眺め、聖書のエピソードを水彩で描きため。そのシリーズは義父が思春期を過ごした旧制中学のごく近所で大切にされている。

そして私は義父の仏前に旧制中学時代通っていた甘味屋さんの田村の梅をお供えし、画廊で作品が展示される時はお茶請けに用意する。

 

義父が帰りたかった故郷、だからといって息子である夫が岩手県で暮らせるかは難しいと思う。

以前、東京の人がそれまで通っていた岩手県で老後を過ごしたいと準備をして転居の段階でコロナ禍が始まり決まっていたマンションへの転入を断られ、違うところに転入するも火事で亡くなったというニュースを読んだことがある。

コロナ禍という時期のニュースではあるが、出来上がった地域社会に入るのは難しいこともある。

 

https://ogino.link/2020/04/8902/

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夫は義父の父たちが設立運動をした立派な病院があるというが。

 

義父の遠縁から次男の嫁がと注意されたことも私はあるし。(本家や直縁からはよくしていただいています。義父の葬儀にも参列してない方です)あと、資産と義父の作品を本家に返すべきという匿名の方もいる。家売ってそのお金を持参金にし、私たちは慎ましく暮らすべきと。

そのご意見には夫激怒したが。本家分家がある地域社会を夫は知らない。

 

そういえば千葉市暮らしの知人が都内への出張中に脳梗塞で倒れた時に、市内だったらここまで回復しなかったかもと言っていた。千葉大学病院があるのにと返したら、都内ではいざという時に次々と受け入れ先を探せると。あぁ、それはそうだわ。

私の緊急手術の時、足立区だったけど来れるお医者さんを電話で探してたわ。

あと、夫は幼馴染たちとワイワイするのも好きなのに的な。

義兄は年金が出る年齢になったら義父の故郷に拠点を持つつもりで相談していたそうだけど。その為の資金は義兄の没後税務署に行った。

夫と二人で大手の修理を請け負っていた時代だからできた計画だ。

 

それと家を売ると言っても、アパートの店子さんが部屋の柱と梁を破壊した時に改修費用について地元のA信用金庫の担当に相談をしたら、どの駅からも上り坂で10分かかり利便性が悪く、しかも敷地も旗竿地なので条件が悪いと。

旗竿地ではあるけど再建築不可の敷地ではないのに、銀行員にうちの条件の悪さを並べられた。

私有地をよくもまぁ悪様に。

 

義父が戦前に購入してから一度も担保にしたことはないのに、担保にしてもどこの銀行も貸さないとまで言われた我が家。

なんせ売る方をお勧めされて、今ならまだ売れる、しかし路線価では売れないとも。

銀行員が路線価の価値がないと言ってるのに毎年固定資産税があがる。封書が来ると夫が不機嫌になる。

とても憂鬱だ。

 

そして、夫の望郷語りは義父が乗り移っているのではないかと思うほど、それは大正時代の風景ではと。義父が我が子たちに語った故郷の思い出なのだろうけれど。

 

日経のニュースに過疎地に高齢者向けシェアハウスの話題があった。

『過疎地で高齢者向け低額シェアハウス。

高齢者向け小規模シェアハウス、国が全国展開へ 家賃安く過疎地でも - 日本経済新聞

老朽化した介護施設などを改装して使う案もある。つまりシェアハウス化して人件費節減かなぁ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA010F50R00C25A6000000/

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午後、夫の診察後軽トラを出してくれたので近所で食材を買った。目眩はかなり落ち着いたがまだ自転車は怖い。

 

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血中酸素98

機械脈83

脈実測76 リズム不整結構あり 多少飛ぶ

体温額36.7

体温脇36.8

血圧124-82