戦争画の時代が書かれている書籍を乱読してる。
あの『 神兵パレンバンに降下す』を描いた鶴田五郎画伯の『半世紀の素描/鶴田吾郎/中央公論美術出版/1982年』(没後ご子息が纏めた)も結構面白い。
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9201.html
敗戦後の戦争強力者狩り的な時代に藤田嗣治と共に名指しで責任転嫁されるも逃げなかった人的な認識も私にはある。彼は息子さん2人が戦死されて末の息子さんも戦地で消息不明となっていた。
ただし、太平洋美術が空襲で多くを失い大変だった 1947年(昭和22年)に、 石川寅治らと太平洋を抜け洋画団体示現会を創立したメンバーのひとりでもある。
『当時が太平洋画会研究所のもっとも盛んな頃であった。坂本繁二郎、小杉未醒(放庵)も時々顔
を出し、デッサンをやるものは三上知治、山下繁雄、早く死んだ和田基男、足立源一郎、大久保作
次郎、渡辺與平など多数おり、女性では亀高文子、植原久和代、長沼(高村)智恵子なども一緒に画架を並べていた。』
↓ネットで拾った。