義父が通って描いていた場にできたリゾートホテルの会員権を、義兄が義母のためな買うも2人とも利用することなく亡くなり、義母の妹さんたちが利用するだけとなっていたリゾーピア熱海。
今回も私が使わせていただきました。
つか、夫は私に「一緒に行こう」と口説いたのに彼の心臓にサルコイドーシスができて日医大まですぐに行ける行動範囲しかダメになり。
夫はお弟子さんたちと義父が描いた現場も行ってるから、一緒にまわれたらと思う。
特に信州のゆかりの地はお弟子さんたちとまわっていて、これはあの辺で描いたと聞いたと夫は話してくれるけど半世紀以上経っていて火山は稜線が変わっていたりもするので悩む。
気仙沼の現場検証は義父の従弟さんがお元気で案内して頂けて、その後我が家にある気仙沼で描いたと言われている作品はほぼ気仙沼市にあるリアスアーク美術館に収蔵された。
また、千葉県で描いたものも白日会のまひるの会関係と100周年関係で千葉で義父たちが後進指導をやっていた新聞記事や当時の写真などと共に千葉市の美術館に収蔵された。
それはしつこいけど、これからも語るけど、絵描きの遺族として幸せなことだ。と、登久平の次男の寿郎は言っている。
どうなんだろう。